1980年代 - マラドーナ入団とリーグ優勝。そして長い低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:01 UTC 版)
「ボカ・ジュニアーズ」の記事における「1980年代 - マラドーナ入団とリーグ優勝。そして長い低迷」の解説
1981年シーズン、シルビオ・マルソリーニが監督に就任した。そしてAAアルヘンティノス・ジュニアーズから、フットボールの歴史上最高のスーパー・スターの1人ディエゴ・マラドーナがボカ・ジュニアーズに入団した。他にミゲル・ブリンディッシ、オスバルド・サルバドル・エスクデロ、マルセロ・トロッビアーニらも入団した。そしてマラドーナは期待通りの活躍をして、ボカは1981年メトロポリターノに優勝した。5年ぶりの国内リーグ優勝であった。しかし翌1982年5月に、マラドーナはFCバルセロナにフットボール史上最高額の移籍金で移籍をした為、僅か1シーズンのみの在籍でチームを去った。マラドーナ離脱に加え、この2年後の1984年、ボカは財政危機を迎え破産寸前に陥る問題を抱えた。その結果、ボカは長い低迷を始めた。翌1985年には、この苦しい財政事情の為にボカの中心選手がライバルのリーベルへ移籍するという事件が起きた。下部組織出身のアイドル、オスカル・ルジェリとリカルド・ガレカ(3年連続チーム得点王)がリーベルへ移籍する事になった。この移籍はボカの選手2名(ルジェリ、ガレカ)と「金銭プラス、フリオ・オラルティコエチェアとカルロス・ダニエル・タピアのリーベルの2選手を交換する」というトレードの形で行われた。この移籍に関して、ボカの一部のサポーターは憤慨した。この様に主力選手が流出してしまう状況に陥った為、ボカは優勝から遠ざかった。結局1980年代、ボカは国内リーグの優勝は1981年の1度のみで終り、その後は無冠に終わった。これとは対照的に1986年に宿敵リーベルが初の世界チャンピオンに輝くという出来事が起こり、ボカ・サポーターにとっては非常に辛い時期が続いた。しかし、ボカは1980年代後半に財政問題がようやく正常化して資金に余裕ができると、カルロス・モントーヤ、ホセ・クシューホ、ブラス・ジュンタ、クラウディオ・マランゴーニ、フアン・シモンなど優れた選手を獲得した。またこの頃、下部組織出身のディエゴ・ラトーレ、ディエゴ・ソニョーラら若手が頭角を現した。その結果、ボカのチーム力は上がり1988-89シーズンは2位となった。そして1989年のスーペルコパ・スダメリカーナに参加して、ボカは決勝に進出してインデペンディエンテを下して優勝した。これは11年ぶりの国際タイトル獲得だった。
※この「1980年代 - マラドーナ入団とリーグ優勝。そして長い低迷」の解説は、「ボカ・ジュニアーズ」の解説の一部です。
「1980年代 - マラドーナ入団とリーグ優勝。そして長い低迷」を含む「ボカ・ジュニアーズ」の記事については、「ボカ・ジュニアーズ」の概要を参照ください。
- 1980年代 - マラドーナ入団とリーグ優勝。そして長い低迷のページへのリンク