1990年代、ブラーでのブレイクとは? わかりやすく解説

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1990年代、ブラーでのブレイク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 07:27 UTC 版)

デーモン・アルバーン」の記事における「1990年代、ブラーでのブレイク」の解説

1991年ファーストアルバムレジャー』では早くも全英7位を獲得するなど、イギリスではとんとん拍子成功を収めるも、その後アメリカ進出には失敗。この経験から、イギリス的なものにバンドアイデンティティ強く求めるようになり、アメリカ発のグランジブーム吹き荒れるイギリスのチャートシーンにおいて、レコード会社反対押し切り敢えてブリティッシュ・ロック伝統踏襲したアルバム、『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』を発表する当時流行には乗らなかったため、セールス的には振るわなかったものの、作品そのもの高い評価獲得したアルバム製作時、デーモン英国的な音楽流行訪れることを予見していたが、その通り1993年ごろからイギリス的な音楽徐々に国内盛り上がり増しつつあった。 1994年発表アルバムパークライフ』、1995年発売の『ザ・グレイト・エスケープ』で、英国的音楽ムーブメント最高潮達してブリットポップブーム沸き起こりデーモン一躍シーン中心人物となる。クラシックの素養感じさせるポップな音楽性三人称主語としたシニカル物語風の作詞技法派手なライブパフォーマンス愛用フレッド・ペリーポロシャツや、アディダスナイキ小奇麗着こなすモッズ風のファッションから、「ネオ・モッズ」のアイコンとして人気博し、その甘いルックスから、当時日本でもファッション雑誌特集にも多く登場していた。 デーモン自身当時は「ポップな人」をキーワードに自身アイデンティティ追求していったが、ブラーより少し遅れてブレイクをしたオアシスとの対立や、マスコミ執拗な狂騒からパニック障害患うなど、精神的に疲弊きたしてまう。ローファイ音楽志向であったグレアムとも、あまりにもポップになったブラー音楽性巡って対立するようにもなる。 しかしその後アイスランドレイキャビークに家を買ってブリットポップ狂騒から離れ疎遠状態にあったグレアム手紙やり取りをしてお互いの仲を取り戻しつつ、今後バンド方向性確かめあった。またこの頃からアメリカオルタナティブ・ロックやヒップホップ・シーンにも接近するうになる。そして1997年発表商業的自殺呼ばれたアルバムブラー』では「ブリットポップ死んだ」との発言とともにアメリカオルタナティヴ・ロック影響背景とした、それまでポップなブラーイメージかなぐり捨てるような実験的野心的な作品発表新たなファン獲得し、この作品によってデーモンアーティスティックな面でも正当に評価されるうになる。 「英国的なもの」にこだわらなくなったデーモンは、この後活動の幅を飛躍的に広げるようになり、1998年長年ガールフレンドだったエラスティカのジャスティーン・フリッシュマンとの別れの後にフラット共同生活をしていたコミック・アーティストのジェイミー・ヒューレットと、既存商業音楽アンチテーゼとして覆面カートゥーン・バンド、ゴリラズプロジェクト立ち上げ様々なジャンルの曲を実験的にレコーディングした1996年にすでに映画トレインスポッティング』に個人名義で1曲を提供していたが、1999年には映画ラビナス』で現代音楽巨匠マイケル・ナイマン映画音楽サウンドトラック・アルバム作りグレアムに少し遅れてソロキャリアをスタート2000年には『私が愛したギャングスター』、2001年には『101レイキャビーク』でも映画音楽作っている。 また、かつて役者目指していたこともあり、1997年にはロバート・カーライル出演映画フェイス』に出演を果たす。デーモン本人はあまりその出来納得しておらず、自分第一にミュージシャンとの自覚もあり、それ以降出演オファー来ていたが断っている。

※この「1990年代、ブラーでのブレイク」の解説は、「デーモン・アルバーン」の解説の一部です。
「1990年代、ブラーでのブレイク」を含む「デーモン・アルバーン」の記事については、「デーモン・アルバーン」の概要を参照ください。

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