1990年代: ユーロビジョン参加と商業的な後退
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1990年代は1990年のMESAM参加と共に始まったが、ベビ・ドルはこのとき10位におわった。1991年、ベビ・ドルはユーロビジョン・ソング・コンテストのユーゴスラビア代表の地位を射止め、ローマで行われた1991年大会にてユーゴスラビア代表として参加し、「Brazil」を歌った。大会ではわずかに1得点を得てワースト2に終わった。この年にユーゴスラビア社会主義連邦共和国は事実上崩壊し、ベビ・ドルは同国を代表する最後のユーロビジョン・ソング・コンテスト参加者となった。 ベビ・ドルはその後4年間にわたって活動を中止し、1995年に2枚目のアルバム『Ritam srca』(ハートのリズム)で復帰した。アルバムには新曲、ポップ・ロックの色彩を帯びたダンス、ディスコ・ミュージック、2曲のバラッド、1988年のMESAM参加曲の「Slatke suze ljubavi」、「Rudi」のリミックス曲「Rudi (Se budi)」、ユーロビジョン参加曲の「Brazil」が収録された。「Brazil」については、第2バージョンとして「Brazil (Bum bum bum, je je je)」と題されていた。このサブタイトル部分は、ユーロビジョン参加にあたって除去したものであった。ユーロビジョン参加時に同部分を除去したのは、「Bum bum bum」は爆発音、「je je je」の「je」はセルビア語で「is」を意味する動詞であるが、単にその響きで付けられた無意味な題であったことによる。 1995年に発売されたこの2枚目のアルバムには、マドンナの「Take a Bow」のベビ・ドルによるカバー曲「Pokloni se」も収録されている。アルバム『Ritam srca』は、オープニング曲「Hajde da」、シングル・カットされた「Da pričamo o ljubavi」とそのビデオ・クリップ、タイトル・トラックの「Ritam srca」、「Over the Rainbow」のカバー曲「Iznad duge」などによって人気を得た。その後2000年代まで再び活動を休止した。
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