1990年代 - プレーオフで勝利無し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 06:14 UTC 版)
「シンシナティ・ベンガルズ」の記事における「1990年代 - プレーオフで勝利無し」の解説
1990年10月7日、ロサンゼルス・ラムズ戦でアサイアソンがチーム記録となる490ヤードを投げた。オーバータイムにブリーチの決勝FGが決まり34-31で勝利した。このシーズンはワイルドカード・プレーオフで勝ち、こののちは2021年シーズンまではプレーオフで一勝もできなかった。 1991年8月5日、ポール・ブラウンオーナーが亡くなった。チームは3勝13敗に終わった。シーズン終了後、サム・ワイチはチームを去ることになったがマイク・ブラウンはワイチが辞任したと述べ、一方ワイチは解任されたと述べている。 1992年、ドン・シュラの息子、デイブ・シュラがNFL最年少ヘッドコーチとなったが好成績を修めることができず1996年に1勝6敗となったところで解任された。シュラヘッドコーチの通算成績は19勝52敗であった。 1992年チームはドラフト1巡目全体6位でQBデビッド・クリングラーを獲得した。 1994年、ニューヨーク・ジェッツの控えQBであったジェフ・ブレイクと契約した。 1994年にはDTダン・ウィルキンソン、1995年にはRBキジャナ・カーターをNFLドラフト全体1位で指名したがチーム成績は上向きにはならなかった。 1995年8月17日デトロイト・ライオンズとのプレシーズンゲームで、この年トレードアップにより手に入れたドラフト全体1位で指名したキジャナ・カーターがひざを負傷し、シーズン絶望となった。カーターはキャリアで100ヤードを超えることわずか1試合、1999年シーズン終了後キャリアを終えた。 1996年、デイブ・シュラが1勝6敗で辞任した後、かつてチームのタイトエンド、オフェンスコーディネーターを務めたブルース・コスレットが就任し、シーズン残り試合を7勝2敗で終えて、8勝8敗の五分でシーズンを終えた。 1997年12月4日、コーリー・ディロンが40年前にジム・ブラウンが作ったNFL新人ラッシング記録を塗り替える246ヤードを走り41-14で勝利した。 1998年、長年チームのオフェンスラインを支えていたアンソニー・ムニョスがプロフットボール殿堂入りを果たした。
※この「1990年代 - プレーオフで勝利無し」の解説は、「シンシナティ・ベンガルズ」の解説の一部です。
「1990年代 - プレーオフで勝利無し」を含む「シンシナティ・ベンガルズ」の記事については、「シンシナティ・ベンガルズ」の概要を参照ください。
- 1990年代 - プレーオフで勝利無しのページへのリンク