1990年代までの活動
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「オール・アバウト・イヴ」の記事における「1990年代までの活動」の解説
1990年、ブリッチェノがグループを脱退(後にアルバム『ヴィジョン・シング』時代のシスターズ・オブ・マーシーや、その後のバンド、XC-NNやティン・スターに加入)し、チャーチのマーティー・ウィルソン=パイパーが代わって加入した。1991年、アルバム『タッチ・バイ・ジーザス』をレコーディング(2曲でピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアのギターをフィーチャー)し、全英17位となった。レコード・レーベルを変更して翌年にMCAレコードからリリースされたアルバム『ウルトラヴァイオレット』は、全英46位に達した。その後もバンドは新しい楽曲の制作を続けたが、リーガンがすぐに脱退。残るメンバーはリーガンなしでさらに2か月間、バンドを続けたが、1993年初頭に解散し、後に作業していたアルバムは「Seeing Stars」名義でリリースされた。 リーガンはマイスというバンドを作ったり、バーナード・バトラーと仕事したり、「Jules et Jim」プロジェクトでジャン=マーク・レーダーマンとチームを組んだりした。 1993年、ベーシストのカズンは、改編されたザ・ミッションに参加し、広範囲なツアーを行い、アルバム『ネヴァーランド』(1995年)と『Blue』(1996年)に貢献したもののバンドは再び分裂した。 1999年、ウェイン・ハッセイが再びザ・ミッションを改編したが、カズンのための空きはラインナップになかった(バンドの元ベーシストであるクレイグ・アダムスがベースの仕事を引き受けている)。カズンはリーガンにアプローチし、オール・アバウト・イヴを開放して再結成に誘うよう依頼した。申し出は受け入れられ、バンドはリーガン、カズン、ウィルソン=パイパーに加えて、ギター/キーボードのリック・カーター(カズンとザ・ミッションで一緒だった)とドラムのデル・フッドというラインナップで再結成された。このラインナップは2000年と2001年にツアーを行い、ユニオン・チャペルにて録音されたライブ・アルバム『ライヴ・アット・ユニオン・チャペル』をリリースした。さらに、リーガン、ウィルソン=パイパー、カズンは、主にアコースティック・トリオとして2年間、短いツアーを行い、2000年に『フェアリー・ライト・ナイツ』、2001年に『フェアリー・ライト・ナイツII (ライヴ・アコースティック)』というライブ・アルバムをリリースした。 2002年、ウィルソン=パイパーは他のプロジェクトを追求するためにバンドを去り、かつてMallukaというバンドに在籍し、現在のSohodollsのメンバーである新しいギタリストのトニ・ハイミが代わって加入した。その年の後半、オール・アバウト・イヴは、リーガン、カズン、ハイミ、カーター、フッドというラインナップを含むライブ・アルバムとDVD『シネマソニック』をリリースした。『未発表曲集 (Return to Eden, Vol. 1: The Early Recordings)』と名付けられた初期の録音のコレクション・アルバムもリリースされた。 また2002年に、リーガンとカズンは10年ぶりとなるスタジオ・レコーディングをリリースした。EP『アイスランド』は「冬の歌」のコレクションで、「December」の再録音や、ワム!の「ラスト・クリスマス」、クイーンの「ウインターズ・テイル」、「ウォーキング・イン・ジ・エアー」といったカバー曲が収録された(1989年のオリジナル「December」シングルには、ジェスロ・タルの「The Witch's Promise」のカバー・バージョンが収録されていた)。
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