1990年代の論争とは? わかりやすく解説

1990年代の論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 19:40 UTC 版)

純文学論争」の記事における「1990年代の論争」の解説

1990年代後半から2000年代前半にかけて起こった論争は、大塚英志文芸雑誌売り上げ関しいわゆる純文学」の売り上げ低さをその文化的存在価値低さみなした見解と、それへの笙野頼子による批判によって引き起こされたものである1998年頃、大塚英志1980年代主張した売れない純文学商品として劣る」との主張に対して笙野頼子抗議した。そこには、当時の『読売新聞』で文芸時評評論家ではなく新聞記者によってなされたこと、『文藝春秋誌上直木賞作家数名による座談会で〈売れない小説には価値がない〉という趣旨発言なされたこともきっかけとなっていた。福田和也はこの笙野の抗議について「ヒステリック」と批判したまた、それを創作という形で表現したのが『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』である。『てんたまおや知らズどっぺるげんげる』には、「幼稚」な純文学叩き繰り返す文壇の「妖怪」たちの様子が、笙野の特徴的な文体描かれている。また笙野は、批判者の指す純文学とは男性作家作品意味し女性作家存在軽視または黙殺していることも問題にした。 2002年には大塚の「文芸誌売れないから商品としてかなり危うい」という意味の発言に対して、笙野は(笙野頼子ドン・キホーテ侃侃諤諤」『群像』第57第6号講談社2002年5月、 216-227頁、 NAID 40000822392、 国立国会図書館書誌ID:6131459。)を発表して大塚見解を、文学商品価値のみを認め見解であり、芸術としての文学に害を及ぼすものだと批判した。これに対して大塚は、『不良債権としての文学」』(『群像2002年6月号)で、漫画雑誌売り上げによって文芸誌採算悪さ補われていると主張してそれを批判根拠とし、対症療法として提案した既存流通システムの外に文学市場作る」を実践するため文学フリマ主催したが、これに関しても笙野は、第1回だけに大塚かかわりその後事務局体制移行したことを批判している。 福田のほかにも数人評論家作家論争加わっているが、文学芸術的な側面とその流通における問題がしばしば混同され論じられた。この論争発端となった大塚見解は、漫画雑誌の元編集者として立場から語られたものであり、「売り上げの多い作品がその社会にとって必要なもの価値」であるという市場原理前提とした思考に依っている。それに対して笙野は純文学徹底擁護という観点から論戦展開し2005年にはそれまでの「論争」の経過をまとめた『徹底抗戦!文士』を発表した

※この「1990年代の論争」の解説は、「純文学論争」の解説の一部です。
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