1990年代の業績悪化と回復とは? わかりやすく解説

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1990年代の業績悪化と回復

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 10:19 UTC 版)

IBM」の記事における「1990年代の業績悪化と回復」の解説

1990年代にはダウンサイジング潮流によりIBM主力であったメインフレームは「時代遅れ過去遺物レガシー)、滅び行く恐竜」と呼ばれIBM業績急速に悪化した1993年1月19日IBM1992年度会計での497000ドル損失発表した。これは単年度単一企業による損失額としてはアメリカ史最悪であったと言われた。 この損失以来IBM事業主体ハードウェアから、ソフトウェアおよびサービスへと大胆な転換進めた。また当時水平分業モデルマイクロソフトインテルサン・マイクロシステムズオラクルなどが好調であったため、米国PC事業部 (IBM PC Company) やプリンター事業部など、IBM分社化動き進められた。ハードウェア主力メインフレーム低価格化を進め複数のサーバーシリーズのブランド名機能共通化進められた。IBM伝統的に日本日本企業採用する以前から、各国終身雇用行っていたが、これを方針転換リストラの実施開始された。後には最終的に最盛期には全世界40万人いた社員22万人まで削減することになる。 1993年ナビスコ社から引き抜かれルイス・ガースナーCEO就任し不採算部門売却世界規模事業統合官僚主義一掃顧客指向事業経営行い、独自システムと独自OSによる顧客囲い込みをやめ、オープンシステム採用したシステムインテグレーター事業戦略大きく転換した。また顧客要望聞き顧客トータルサービス望んでいると考えIBM分社化動き停止した。これによりIBMLinux推進する大手コンピュータ企業筆頭となった1995年にはネットワーク・コンピューティング1997年にはe-ビジネス提唱した1995年IBMLotus Notesを持つLotus買収した以後運用管理ソフトウェアを持つTivoliデータベースInformixソフトウェア開発ツールを持つRationalなどを買収し従来からのIBMソフトウェアDB2WebSphereなど)と統合した。この結果2003年にはソフトウェア事業の5ブランドInformation ManagementWebSphereLotusTivoliRational)を形成した。なお、それぞれのイメージカラーは緑・紫・黄・赤水色である。 1999年IBMソフトウェア戦略全世界方針転換し、IBM今後アプリケーションパッケージ開発せず、ミドルウェアまでに集中し、各業務に強いアプリケーション・ベンダーとパートナーシップ組んでユーザーソリューション提供することを発表したコア位置づけ事業の買収投資進め一方でコモディティ化価格低下進みIBM強み活かせないと判断したコア事業売却行い、「選択と集中」を進めている。1991年にはタイプライター事業1998年にはネットワーク事業売却した

※この「1990年代の業績悪化と回復」の解説は、「IBM」の解説の一部です。
「1990年代の業績悪化と回復」を含む「IBM」の記事については、「IBM」の概要を参照ください。

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