1990年代の計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 14:00 UTC 版)
「IND2番街線」の記事における「1990年代の計画」の解説
1990年代にニューヨーク市が経済的および財政的に回復したことを受けて、2番街線の建設を完成させようとする努力が復活した。セントラル・パークより東側を走る唯一の地下鉄幹線であるIRTレキシントン・アベニュー線の輸送量が増加し、容量と安全の問題が出てきたことから、2番街線の必要性が示された。複々線のIRTレキシントン・アベニュー線は、1955年に3番街高架線が廃止されて以来、アッパー・イースト・サイドとスパニッシュ・ハーレムにとっては唯一の都市鉄道の選択肢となっており、アメリカ合衆国で最も混雑する地下鉄路線となっていた。2015年にはレキシントン・アベニュー線の利用者は1日平均130万人に達し、これはアメリカ合衆国で利用者数が2番目の地下鉄網であるワシントンメトロの1日の総利用者数より多く、またサンフランシスコのバートとボストンのマサチューセッツ湾交通局の合計の1日利用者数よりも多い。地域のバス網も1日の様々な時間帯で同様に混雑しており、レキシントン・アベニュー線と並行するM15ローカル系統およびM15セレクトバスサービスは2016年の平日1日あたり46,000人の利用があり、年間1450万人に相当することになる。 1991年には、当時のニューヨーク州知事のマリオ・クオモは2番街線の計画の見直しと設計のために2200万ドルを割り当てたが、2年後、予算削減に直面したMTAはこの資金を資本予算から削減した。1995年にMTAは大規模投資検討および概要環境影響書の両面についてマンハッタン・イースト・サイド・オルタナティブズの検討を開始し、レキシントン・アベニュー線の混雑を緩和しマンハッタンのイースト・サイドの交通を改善する策を検討した。この検討ではいくつかの選択肢を調査しており、レキシントン・アベニュー線を改良して輸送容量を拡大すること、バス専用車線を利用したバス網の拡張、ライトレールやフェリーの導入といったものがあった:7–8。ロジスティックな面で、1番街より2番街が選択されることになった。MTAは、ニューヨーク市郊外への新しく最適な交通連絡を決定するために、ロウアー・マンハッタン・アクセス・スタディという検討を1997年11月に開始した。63丁目からロウアー・マンハッタンまで2番街線を建設することは、この検討において挙げられた5つの選択肢の1つであった:6, 7。 1999年の概要環境影響書では、63丁目から2番街を北へ125丁目まで、ロウアー・マンハッタンへはBMTブロードウェイ線経由で列車を走らせる新系統のみを提案していた。2番街線の急行列車は、モンタギュー・ストリート・トンネル経由でロウアー・マンハッタンへ走り、各駅停車はマンハッタン橋を経由してロウアー・マンハッタンは通らないことにされた:20–21。グランド・セントラル駅への支線も検討されたが、実行不可能として削除された:17。 大衆から強い支持があったことが部分的な理由となって、2000年4月のMTA取締役会では、スパニッシュ・ハーレムからロウアー・マンハッタンまでイースト・サイドに沿って全線にわたって地下鉄を建設することを約束した:18。2000年5月に、MTA資本計画見直し委員会はMTAの2000年-2004年の資本計画を承認し、その中で2番街線の建設には10億5000万ドルが割り当てられた:18。翌年、地下鉄の設計契約がDMJMハリス/アラップの合同企業体に発注された。新しい概要書では、125丁目から14丁目までの全線を提案した。14丁目から南へは、路線はクリスティー・ストリート、セント・ジェームズ・プレイス、ウォーター・ストリートの下を通ってロウアー・マンハッタンで終点となるか、既存のBMTナッソー・ストリート線のJ1/J2線にケンメア・ストリートで合流してロウアー・マンハッタンへの連絡を実施するかとされた。ウォーター・ストリート経由の選択肢が最終的に選択された:26–27。 2001年12月19日、連邦都市交通局(英語版)は2番街線全線にわたって準備工事を始めることを承認した。MTAの最終環境影響書は2004年4月に承認された。最新の提案では、ハーレムの125丁目とレキシントン・アベニューから複線の線路が2番街に沿って南下し、フィナンシャル・ディストリクトのハノーバー・スクエアへと至る。最終計画では、2番街線全線で2つの系統を運行することになっていた。水色に塗られたT系統と、運行経路を変更されるQ系統である。第1段階ではブロードウェイ線急行であるQ系統を、BMT63丁目線を通り北へ2番街線へ、アッパー・イースト・サイドの96丁目駅まで運行変更する。第2段階ではこのQ系統を125丁目・レキシントン・アベニューまで延長する。第3段階では新しく導入するT系統が125丁目からハウストン・ストリートまで運行する。最後の段階でT系統をハウストン・ストリートからロウアー・マンハッタンのハノーバー・スクエアまで延長する。 全長1.8マイル(約2.9キロメートル)の第1段階は44億5000万ドルの予算内で建設された。その建設現場は、105丁目・2番街から63丁目・3番街の間と指定された。道路交通や歩行者、地下埋設物や地上の事業活動に支障をきたす、過去の開削工法を避けて、トンネルボーリングマシンを使った深部掘削の工法が用いられた。駅部については開削工法が維持された。8.5マイル(約13.7キロメートル)の総建設費用は170億ドルを超えると見積もられた。2014年に、MTA資本建設局長のマイケル・ホロドニチアヌ(英語版)は、全線は2029年までに完成するかもしれないと述べ、完成すれば1日56万人に利用されるとした。しかし2016年12月現在、第1段階と第2段階のみが2029年までに完成するとされている。2番街線は、ニューヨーク市地下鉄にとって半世紀ぶりの大規模拡張とされている。1950年代に高架の2番街線と3番街線が取り壊されて以来、空白地帯であった場所に複線の線路を建設する。環境影響書によれば、2番街線第1段階の範囲では1日20万人の利用者を見込んでいる。
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