最終計画
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「ポンピドゥー・センター」の記事における「最終計画」の解説
こうした経緯から、翌1969年にポンピドゥー大統領が近現代芸術拠点を設ける構想を発表したときにはボーブール地区を候補地に挙げていたが、同地区は国立図書館の建設予定地であったため、翌1970年にあらためて美術館を含む総合文化施設に国立図書館を併設する計画を発表し、これにより「図書館を利用する何千人もの人々が、同時に芸術に接することができる」と説明した。 当初、この総合文化施設には国立近代美術館、国立図書館およびパリ装飾芸術美術館(フランス語版)のフランソワ・マテイ(フランス語版)館長が創設した産業創造センターを含める予定であったが、ポンピドゥー大統領は1971年にこれに音楽創造センターを加えると発表し、作曲家のピエール・ブーレーズをこのプロジェクトの責任者に任命した。これが現在の国立音響音楽研究所 (IRCAM) である。なお、当初の計画になかったこの研究所を建設するために、サン・メリ教会に隣接するサン・メリ小学校をルナール通りに移転しなければならなかった。 この計画はこの後もさらに練り直しが必要であった。国立近代美術館は文化省、国立図書館は国家教育省の管轄であり、音楽家の間でも国の政策について意見の対立があったからである。併せて、この事業は、1968年の五月革命の影響を受けて、国の文化政策を問い直す新たな挑戦であった。
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