最終規定条約による賠償問題の「解決」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 01:08 UTC 版)
「第二次世界大戦後におけるドイツの戦後補償」の記事における「最終規定条約による賠償問題の「解決」」の解説
1990年9月12日のドイツ最終規定条約により、ドイツの戦争状態は正式に終了した。この条約には賠償について言及された点は存在していないが、締結に際して連邦政府は「賠償問題は時代遅れになった」とはっきり説明し、もはや賠償問題は提起されないという立場をとっている。 この最終規定条約はロンドン債務協定で規定された「平和条約」であるとドイツ連邦共和国政府はみなしていないが、賠償問題をも含む戦争から生じた法律的問題の最終的解決を含むものとしている。ドイツ政府は、賠償問題が終結したことの理由として、50年に及ぶ諸外国との信頼協力関係の構築、そしてデモンタージュや生産物の接収、対外資産の没収等による支払額が、ポツダム会談での見込み額100億ライヒスマルクを遥かに超えていることと西欧12カ国による包括的な補償協定により、給付移転がすでに行われていることを根拠としている。最終規定条約は全欧安全保障協力会議の参加国によって11月11日に承認され、ドイツはこの参加国に対しても賠償問題は終結したとしている。 このため統一後のドイツは、「ドイツの戦後問題」が最終的に解決され、「賠償問題はその根拠を失った」として、法的な立場からの賠償を認めていない。しかし、アメリカ政府が2000年に賠償請求の問題は未解決であるという見解を示したように、他国からは異論もある。
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