1990年代-イラク戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/09 04:19 UTC 版)
「第172歩兵旅団 (アメリカ軍)」の記事における「1990年代-イラク戦争」の解説
1990年代後半、米陸軍再編に伴い、独立旅団というコンセプトが再導入されることとなった。これは、師団レベルの支援部隊から独立して、上級司令部から切り離された遠隔地に配備されるものであった。第172歩兵旅団は、この独立旅団コンセプトを適用される初の部隊とされ、1998年4月に復帰編成された。旅団は戦域防御旅団としてアラスカ軍の隷下に配備された。旅団の隷下には2個空中強襲大隊が配属されたが、これは第101空挺師団以外の唯一の空中強襲部隊であった。 2001年、旅団は、まったく新しいインターリム旅団戦闘団に改編されることとなった。インターリム旅団戦闘団は、のちにストライカー旅団戦闘団に改称され、旅団の再編は2003年10月16日に完結し、第172ストライカー旅団戦闘団と改称された。 2005年8月、イラクの自由作戦を支援するため、旅団はイラクに配備された。旅団はモースルに駐屯し、ニーナワー県において対反乱作戦を遂行した。この配備は2006年7月26日に終了する予定であったが、派遣期間は2006年11月まで延長された。この派遣期間延長は、旅団が帰国計画を発動し、一部の部隊が既にアメリカ本土に帰還したのちに発表されたため、これらの部隊はイラクにとんぼ返りせざるをえなくなり、非常に不評であった。しかしこのイラク派遣の結果、旅団は武勇部隊章を受章することとなった。派遣期間を通じて、旅団は26名の戦死者、350名の戦傷者を出した。また旅団に配属されていた10名も戦死した。 イラクから帰還したのち、旅団は編成解除された。旅団の人員・装備は、新編された第25歩兵師団第1旅団に引き継がれた。
※この「1990年代-イラク戦争」の解説は、「第172歩兵旅団 (アメリカ軍)」の解説の一部です。
「1990年代-イラク戦争」を含む「第172歩兵旅団 (アメリカ軍)」の記事については、「第172歩兵旅団 (アメリカ軍)」の概要を参照ください。
- 1990年代-イラク戦争のページへのリンク