大量破壊兵器捜索
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「イラク武装解除問題」の記事における「大量破壊兵器捜索」の解説
イラク戦争での戦闘が一段落すると、アメリカ軍とUNMOVIC(国際連合監視検証査察委員会)による大量破壊兵器の捜索が開始された。しかし捜索にもかかわらず新たな大量破壊兵器は発見されず、2004年9月13日にパウエル国務長官は「見つからないだろう」と捜索断念を明らかにした。 2004年10月6日、CIAのアドバイザーで、イラク調査団(ISG)の団長であるチャールズ・デュエルファーは、1991年に未申告の化学兵器は廃棄されていたこと、開戦時には軍事的意味をもつ大量破壊兵器は存在せず、具体的開発計画もなかったこと、などを結論とする最終報告書(Duelfer report)をアメリカ議会上院軍事委員会の公聴会に提出した。これにより、それまでにCIAが入手し報告していたイラクの大量破壊兵器に関する情報は、裏づけのないものであったことが露呈した。 フセイン元大統領は、拘束後のFBIの取調べにイラクが査察に非協力的だったのは「大量破壊兵器を保持している事をほのめかす事でイランや国内の反政府勢力を牽制しようとした」ためで、化学兵器などの大量破壊兵器は「湾岸戦争後の国連の査察ですべて廃棄させられたため最初から無かった」と証言している。 アメリカ政府は大量破壊兵器に関するCIAの情報に誤りがあったことが原因であるとし、議会で調査が行われる事態となった。ブッシュ大統領は退任直前のインタビューで「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」と述べたが、大量破壊兵器を保有していないことを事前に知っていれば、イラク侵攻に踏み切らなかったのではという質問に対しては、「興味深い質問だ」と述べただけで、明確な返答を避けた。
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大量破壊兵器捜索
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詳細は「大量破壊兵器(英語版)」を参照 大量破壊兵器の保有に関してはUNSCOMのスコット・リッター主任査察官、IAEAのエルバラダイ事務局長(肩書きはいずれも当時)らは当初から否定的であった。 イラク国内に入ったアメリカ軍は、大量破壊兵器の捜索を行った。また、UNMOVICも現地入りし捜索を行った。しかし捜索にも関わらず新たな大量破壊兵器は発見されず、2004年9月13日にパウエル国務長官は「見つからないだろう」と捜索断念を明らかにした。また、1995年のフセイン・カーミル・ハサン元イラク国防相の亡命の際に国連、MI6、CIAの三者による聴取が行われ湾岸戦争の後に生物・化学兵器およびミサイルを全て破壊したことをハサンは供述した。しかし内容は改竄され、査察の眼を盗んで軍事開発計画を進めているとの情報をハサンから得たと発表され、UNSCOMの調査方式変更の理由とされていた。 CIAに依頼されて大量破壊兵器調査団長を務めたデビッド・ケイ(政治学者)が、2004年1月28日の上院軍事委員会公聴会で「私を含めてみんなが間違っていた。調査活動が85%ほど終了した今、生物・化学兵器が発見される可能性はもうないだろう」と証言した。同年10月にはアメリカが派遣した調査団が「イラクに大量破壊兵器は存在しない」との最終報告を提出。 匿名密告者カーブボール(英語版)による大量破壊兵器の情報の信憑性が薄いものであったことが明らかになった。この事に関してサッダーム・フセインは、拘束後のFBIの取調べで、イラクが査察に非協力的だったのは「大量破壊兵器を保持している事をほのめかす事でイランや国内の反政府勢力を牽制しようとした」ためで、化学兵器などの大量破壊兵器は「湾岸戦争後の国連の査察ですべて廃棄させられたため最初から無かった」と証言している。 アメリカ政府は大量破壊兵器に関するCIAの情報に誤りがあったことが原因であるとし、議会で調査が行われる事態となった。 一方、大量破壊兵器が発見されなかったことで、イラク戦争を支持した同盟国にも動揺が走った。最大の同盟国であるイギリスでは、ブレア首相が開戦前に「フセイン政権が生物化学兵器の使用を決定した場合、45分以内に配備できる」という報告書を提出し、情報の真偽を巡って政府職員に自殺者まで出していたため「国民を騙した」として支持率が急落、任期を残しての早期退陣に追い込まれた。デンマークのイエンスビュ(デンマーク語版)国防相も開戦前に「大量破壊兵器問題をめぐる報告書」を提出してイラク戦争を支持したため辞任を余儀なくされた。また、ポーランドのクワシニエフスキ大統領は「アメリカに騙された」と批判し、日本の久間章生防衛相も「大量破壊兵器があると決め付けて、戦争を起こしたのは間違いだった」と発言し物議を醸した。アメリカを当初から支持した日本の外務省は、2012年12月にイラク戦争への対応に対する検証結果の報告を行った。この報告ではイラクに大量破壊兵器が不存在であることを証明する情報を外務省が得ていなかったと結論付け、外務省のとった対応は概ね適切であったと述べている。オーストラリアのブレンダン・ネルソン(英語版)国防相にいたっては、「原油の確保がイラク侵攻の目的だった」と開き直る発言をして批判を浴びている。 ブッシュ大統領は退任直前のインタビューで「私の政権の期間中、最も遺憾だったのが、イラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」と述べたが、大量破壊兵器を保有していないことを事前に知っていれば、イラク侵攻に踏み切らなかったのではという質問に対しては、「興味深い質問だ」と述べただけで、明確な返答を避けた。また、イラク戦争に賛成したヒラリー・クリントンは、2014年に侵攻は誤りだったと述べている。 ISILはイラク国内にあり、米軍が破壊できなかった元化学兵器工場で略奪を行い、サリンなどを含む2500発もの化学兵器を持ち去った可能性が示唆されている。元化学兵器工場はバグダッド近くにあり、1980年代から1990年代に実際に稼動していた。イラクでは2014年夏ごろから武装勢力やテロ集団による襲撃により、この元化学兵器工場のコントロールを失っていたとされている。
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