イスラーム革命後(1979年~)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/28 16:46 UTC 版)
「イランとロシアの関係」の記事における「イスラーム革命後(1979年~)」の解説
イラン・イラク戦争期にあって、ソヴィエト連邦はサッダーム・フセインのイラクに大量の通常兵器を供給した。ルーホッラー・ホメイニーはソ連の共産主義の理念をイスラームとは原理的に相容れないものと考えて、世俗的なサッダームをモスクワの盟友とみなしたのである。 イラン・イラク戦争後、特にソ連の没落により、テヘランとモスクワの関係は外交においても経済においても急速に緊密化。時をおかずイランはロシアからの兵器購入さえ始めるようになる。 1990年代半ばまでに、ロシアはイランの核開発計画の作業を継続し、20年近く遅延していたブーシェフルの原子炉プラント完成を計画に同意している。 この見返りとして、レバノンやパレスチナに見るようにイスラーム諸国民の擁護者を自任するイランは、両次チェチェン戦争におけるチェチェン人へのロシアの暴力非難については、大部分沈黙を守っている。
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