イスラーム都市の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 21:13 UTC 版)
「メフメト2世」の記事における「イスラーム都市の建設」の解説
アヤソフィアなどのキリスト教の教会はモスクに改築され、新たに建立されたモスクを中心にイスラム教徒の居住区(マハッレ)が形成された。 メフメトの治世の末期、かつて聖使徒大聖堂(英語版)が存在していた場所に、おそらくはスルタンの権威を示すためにファーティフ・モスク(英語版)が建立された。 モスクの周辺にはメドレセ(学院)、病院、救貧院などの付随する施設も建てられた。メドレセには各地から学生が集まり、イスラームの諸学を修めた。 東ローマ時代の水道設備は修復された上、新たな上水道が引かれたことで、市民は生活用水を得ることができた。 これらの施設の建設と運営にあたっては、商店を宗教施設にワクフとして寄進し、商店の賃貸料と売り上げから運営費を捻出した。1457年ごろから、施設の運営費を賄うためにイスタンブールには多くのバザールが作られ、グランドバザールの原型もメフメトの治世に完成する。 オスマン皇帝の宮殿は、当初グランドバザールの西(後にイスタンブール大学が置かれた場所)に造営されたが、市場に近いという理由で別の場所への移転が検討される。 1465年にイスタンブール旧市街の東端に新たな宮殿の建設を開始し、1478年に新宮殿が完成した。新しい宮殿は大砲が置かれた門にちなんでトプカプ宮殿と呼ばれるようになり、オスマン皇帝の住居、帝国の政治の中心地となった。
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