イスラーム通貨の導入と官僚機構のアラブ化
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「アブドゥルマリク」の記事における「イスラーム通貨の導入と官僚機構のアラブ化」の解説
アブドゥルマリクによる中央集権化政策とイスラーム化政策の大きな柱はイスラーム通貨の導入であった。ビザンツ帝国のソリドゥス金貨はシリアとエジプトで廃止されることになったが、そのきっかけになったと考えられているのはビザンツ帝国が691年か692年に硬貨へキリストの像を加えたことであり、これは預言者の像に関するイスラームの禁忌に触れるものであった。アブドゥルマリクはビザンツ帝国の硬貨に代わるイスラーム世界の金貨として693年にディナール金貨を導入した。当初、この新しい硬貨にはイスラーム共同体の精神的指導者であり、最高位の軍司令官でもあるカリフの肖像が描かれていた。しかし、このような意匠はイスラーム教徒の官僚には受け入れられず、696年もしくは697年に肖像のない様式へ変更され、クルアーンからの引用やその他のイスラームの宗教的な定型句が硬貨に刻まれた。698年か699年には東方のかつてのサーサーン朝ペルシア領内でイスラーム教徒が発行していたディルハム銀貨にも同様の変更が加えられた。アブドゥルマリクの新しいディルハムはサーサーン朝時代の銀製の素材と幅の広い形状という特徴を残していたが、前述の理由によってサーサーン朝の王の肖像は硬貨から取り除かれた。 アブドゥルマリクはイスラーム国家の通貨が刷新された直後の700年頃にシリアのディーワーンが用いる言語をギリシア語からアラビア語に変更したと一般的には考えられている。この移行はアブドゥルマリクの書記官であったスライマーン・ブン・サアド・アル=フシャニー(英語版)によって実施された。一方でハッジャージュはその3年前にペルシア語が話されていたイラクのディーワーンのアラブ化に乗り出していた。公用語が変更されたにもかかわらず、アラビア語に精通したギリシア語話者やペルシア語話者の官僚は同じ地位に留まった。官僚機構と通貨のアラブ化はカリフが実行に移した行政改革の中でも最も重要なものであった。最終的にアラビア語はウマイヤ朝における唯一の公用語となったものの、ホラーサーンなどの遠隔地では740年代まで移行が実施されなかった。ハミルトン・ギブによれば、この布告は「各地方の多様な税制度の再編と統一に向けた第一歩であり、より完全なイスラーム教徒による行政の確立に向けた手段でもあった」。一方でブランキンシップによれば、実際にウマイヤ朝に「それまで欠けていた観念的、計画的な彩りをより多く与える」イスラーム化政策の重要な一部であった。また、アブドゥルマリクはこの政策と前後してビザンツ帝国の領内でイスラームの教義を広めるためにギリシア語で書かれたイスラームの信仰告白(シャハーダ)を含んだパピルスの輸出を開始した。これはビザンツ帝国とイスラーム教徒の抗争がイデオロギー面へ拡大していたことをより強く証明するものであった。 アブドゥルマリクの下で国家のイスラーム化が進行したことは、イスラーム教徒として生まれ育った支配者の第一世代であるカリフとその政策の実行を担ったハッジャージュの人生にイスラームが影響を与えていたことの部分的な反映でもあった。アブドゥルマリクとハッジャージュは、アラビア語のみが話され、行政官はもっぱらアラブ人のイスラーム教徒が担っていたイスラームの神学と法学の中心地であるヒジャーズで人生の最も多くの時間を過ごした。このため、両者はアラビア語しか理解できず、ディーワーンの役人となっていたシリア人やギリシア人のキリスト教徒やペルシア人のゾロアスター教徒にも馴染みがなかった。スフヤーン家のカリフとそのイラクの総督たちは青年期にこれらの地域に入り、その子供たちがアラブ人のイスラーム教徒の新参者たちと同様に多数派の土着の住民と馴染みがあったのとは全く対照的であった。ヴェルハウゼンは、アブドゥルマリクは「(カリフの)ヤズィードのような軽率なやり方で」信仰心に篤い臣民を怒らせないように注意を払っていたが、即位してからは生い立ちや初期の経歴におけるその敬虔さにもかかわらず、「すべてを政策の下へ従わせ、カアバを破壊の危機に晒すことさえした」と述べている。一方でアブドゥルアメール・ディクソンはこの見解に異議を唱え、アッバース朝時代のイスラーム教徒の史料におけるアブドゥルマリクの即位後の性格の変化とその結果としての信仰心の放棄に関する描写は、「卑劣で、不誠実であり、血に飢えた人物であると非難した」史料の作者たちによる一般的であったアブドゥルマリクに対する敵意に基づいていると指摘している。それでもなおディクソンは、カリフが政治的に必要な状況であると感じたときには若い頃のイスラーム教徒としての理想を無視したと認めている。
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