総合格闘家としての絶頂期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 16:15 UTC 版)
「安田忠夫」の記事における「総合格闘家としての絶頂期」の解説
のちにアントニオ猪木によって再生され、2001年に総合格闘技デビュー。3月25日のPRIDE.13で佐竹雅昭に判定勝ちを収めて白星デビューを飾る。12月31日の「INOKI BOM-BA-YE 2001」ではメインイベントに大抜擢され、生中継でジェロム・レ・バンナから大金星を挙げた。2002年2月にはIWGPヘビー級王座も獲得した。その後悪役に転向し魔界倶楽部のリーダーとなるが素行不良が顕著となり、2004年に精神修行の旅に出て、正統派に戻るはずだった。しかし復帰から間もない9月15日、新日本プロレスから無期限出場停止処分を受け、当時の社長草間政一より2005年1月18日に解雇された。
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