第3巻から第5巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:13 UTC 版)
第3巻から第5巻まではユダヤ教色が強いとされるが、その成立年代にはかなりの開きがある。これらの巻は地中海世界のさまざまな地名を挙げ、終末において「神の民」(ユダヤ人)に訪れる救済と、異民族が直面することになる災厄を予言するものとなっている。 予言には事後予言が混じっていることも指摘されており、様々な国の著名な君主たちが登場している。彼らはゲマトリアや言葉遊びなどを利用して婉曲に呼ばれているが、そうした実在の人物や事件に引き寄せた記述は成立年代を推定する鍵となっている。なお、ホメロスやヘシオドスを模倣した要素が指摘されており、たとえば第3巻のバベルの塔を描いた箇所では、ホメロスの『オデュッセイア』と『イリアス』、それにヘシオドスの『神統記』との混合や並行が見られる。 第3巻 第3巻は829行から成り、他の巻に比べて分量が多いというだけでなく、内容的にも最も古く重要とされている。成立時期については、部分的にエジプトに対して強い関心を寄せている句があることと、紀元前140年以前の出来事に基づく事後予言らしき要素があることから、ほとんどの要素は紀元前140年頃にエジプトのユダヤ人が作成したものと推測されている。 他の巻同様に統一的とは到底いえないが、それでも主要部分は97行目から294行目、295行目から488行目、489行目から808行目と三分できる。 その97行目に先行する1行目から96行目は、唯一神への賛歌と偶像崇拝への非難、不滅の君主の降臨とローマに下される裁き、ベリアルの到来とその破滅、そのあとに世界を支配する「一人の女性」などが描かれている。ただし、この部分が本来の第3巻に含まれていたのかどうかには議論がある。詳しくは後述の#写本の系統を参照のこと。 97行目から294行目はバベルの塔建設と諸民族の拡散を描いている。この出来事はクロノス、ティタン、イアペトスという3人の王の間の争いによるものとされており、聖書の題材とギリシア神話が無差別に混ぜ合わされている。ここではエジプト、ペルシア、メディア、エチオピア、アッシリア、バビロニア、マケドニア、ローマといった諸国史が描き出され、うちローマは「多くの頭を持っている」共和政時代までが描かれている。それら諸政体の後に、ソロモン王の時代には偉大で強かった「神の民」の平和的な統治が続くとされ、エジプトのプトレマイオス7世の後に「神の民」が再び力を得て人類を支配するものとされた。「神の民」は当然ユダヤ人を暗示しており、この部分はイスラエルの歴史や特質についての記述を伴っている。 295行目から488行目はバビロニア、エジプト、リビア、セレウコス朝シリア、フリギア、トロイ、キプロス、イタリアといった諸国・諸地域やゴグとマゴグに対する非難や警告を含んでいる。この部分は細部が史実と一致しないが、明らかに紀元前2世紀に書かれたものである。それというのは、セレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスとその息子エウパトル、エウパトルを殺したデメトリオス1世ソテルをはじめ、ディオドトス・トリュフォンに至る諸王の描写が認識できるためである。 489行目から808行目もイスラエルに与えられた約束と対照的な異邦人たちに対する非難を含み、最後の審判に言及されている。この部分で再びプトレマイオス7世にも触れられている。注釈者の中にはこの部分にキリスト教的要素を見出した者たちもいるが、それについては様々に解釈されてきた。 これら大きなまとまりの後で、結語にあたる809行目から829行目が置かれている。シビュラはそこで自らの生い立ちを語り、ギリシア人が彼女をエリュトライの巫女と位置付けているのは誤りで、実際にはバビロニアの巫女であるとともにノアの娘の一人であると主張している。この部分は元から存在していた可能性もあるとはいえ、後代の挿入であろうと考えられている。 第4巻 第4巻は192行で構成されており、第3巻などに比べるとはるかに統一性がある。かつてキリスト教的な部分と考えられていたが、20世紀初頭の時点で完全にユダヤ教的な部分と認識されるようになっていた。西暦70年のエルサレム占領、76年のキプロス地震、79年のベズビオ山の噴火などを下敷きにしているらしい記述があることや、ネロ(68年歿)が再来するモチーフなどがあることなどから、80年頃の成立とされている。これについては、最終的な完成がその時期だとしても、土台となる部分はアレクサンドロス大王の時代に成立していたという説もある。成立した場所はシリアないしヨルダンと推測されている。 この巻でのシビュラは真の神の名において、人類の最初の世代から第10代までに起こることを予言する。この歴史区分は明瞭な区分というよりもかなり漠然としたものではあるが、中世の年代記作家らにも影響を与え、擬メトディウスにも踏襲された点で非常に重要である。 旧約聖書のミカ書(第1章10節)、ゼパニヤ書(第2章4節)などにも見られるユダヤ人的な類推も展開され、書き手は様々な都市を似た音の言葉に引き寄せ、そこに未来の破滅の予兆を見出そうとしている。たとえば、サモスは「砂」(ἄμμος, アンモス)に覆われる、デロスは「姿を消す」(ἄδηλος, アデーロス)という具合である。 書き手はローマ人によるエルサレムの破壊を暗に批判し、79年のベズビオ山噴火はそれに対する神罰だと主張した。ネロについては当時の風説に従っており、自殺したのではなくユーフラテス川を渡って逃げただけで、速やかに戻り来るとも予言した。ローマ人を苦しめた暴君ネロの再来を希求するのは、ローマに対する敵意の現れである。当時、こうした「再来のネロ」のモチーフが広まっていたことはタキトゥスの『同時代史』でも述べられており、『ヨハネの黙示録』や外典の『イザヤの昇天』にも投影されている。『シビュラの託宣』はそうしたモチーフを取り込んだわけだが、逆にそれによって「再来のネロ」はさらに強い影響力を持つようになったとも指摘されている。 これらがキリスト教徒の作と見なせない理由は存在しないが、全体としてはユダヤ教的とされ、特にいくつかの箇所で供犠の拒否、食前の祈りの重視、清めの強調などが提示されていることによって、エッセネ派との関連性が指摘されている。なお、神殿に対して肯定的な第3巻と第5巻に対し、第4巻は否定的な姿勢を打ち出している。 第5巻 531行から成る第5巻には、多くの異なる見解が寄せられてきた。ユダヤ教的だと主張する者もいたし、ユダヤ人キリスト教徒の作品だと主張する者もおり、さらには大々的にキリスト教徒の手が加えられていると主張する者までいた。20世紀以降は、それが含んでいるキリスト教的部分はあまりにも少ないので、ユダヤ教的なものとして位置付けるのが無難とされている。256行目から259行目がキリストの降誕に関する記述であり、直後のくだりまで含めた詳細さを基に、ユダヤ教的な作品にキリスト教徒が手を加えたと位置付ける者は20世紀以降にも存在するが、その部分はキリスト教徒による例外的な挿入句と見なされるのが一般的である。なお、その部分をモーセやヨシュアにひきつけることで、殊更にキリスト教的とは見ない立場すら存在する。 列挙されている人々や国々の数は他の巻を凌いでおり、歴史を辿りつつ、救世主と最後の審判が語られる。そのうち最初の51行は年代順の託宣で、アレクサンドロス大王に始まりハドリアヌス帝即位(117年)で終わっている。この章でハドリアヌス帝は最も優れた者と賞賛されており、彼によるエルサレム神殿の再建が期待されていた。こうしたことからハドリアヌス帝即位以降、バル・コクバの乱(132年勃発)が起こるまでの間に作成されたと推測されており、著者としては第3巻と同じくエジプトのユダヤ人が想定されている。ほかに、第4巻と同じ頃の書き手の作品とハドリアヌス帝時代の書き手の作品が150年頃に一つにまとめられたという説もある。 52行目以降は52行目から110行目までが主にエジプトを襲う艱難、111行目から178行目までがアジアの国々を襲う艱難、179行目から285行目までが再びエジプト、286行目から434行目までが再びアジア、435行目から530行目までがみたびエジプトとその周辺という形で、畳み掛けるように終末の艱難の情景が描かれている。もちろん、その中にも247行目から360行目のように希望の表明のくだりはあるが、その対象はユダヤ人に限定され、彼らが他民族の支配から解放され、エルサレムで栄えることが述べられている。
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