第3巻(倫理的な卓越性(徳)についての概説2・各論1)
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第3巻 - 全12章(つづき)第1章 - 善い悪いと言われるのは「随意的」な行為である。「随意的」とは、1.強要的でなく、2.個々の場合の情況に関する無識に基づくものではない、ことを意味する。 第2章 - 徳は「善い行為」が更に、3.「選択(プロアイレシス)」に基づくものであることを要求する。「選択(プロアイレシス)」とは「前もって思量した」ことである必要がある。 第3章 - 「思量(ブーレウシス)」とは何か --- かくして「選択」とは「我々の自由と責任に属する事柄」に対する「思量的な欲求」である。 第4章 - 「選択」が目的への諸々の手立てに関わるのに対して、「願望(ブーレーシス)」は目的それ自身に関わる。 第5章 - かくして徳は我々の「自由(エレウテリア)」に属し、悪徳(カキア)もまた我々の責任に属する。 【倫理的な卓越性(徳)についての各論】 【勇敢(アンドレイア)】第6章 - 「勇敢」は恐怖と平然(特に戦いにおける死)に関わる。 第7章 - それに対する悪徳、「怯懦(臆病、デイリア)」「無謀(トラシュテース)」など。 第8章 - 「勇敢」に似て非なるもの五つ。 第9章 - 「勇敢」の快苦との関係。 【節制(ソープロシュネー)】第10章 - 「節制」は種として触覚的な肉体的快楽に関わる。 第11章 - 「節制」と「放埒(アコラシア)」「無感覚(アナイステーシア)」。 第12章 - 「放埒」は「怯懦(臆病)」より随意的なものであり、それだけにより多くの非難に値する。「放埒」と子供の「わがまま」の比較。
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