第6巻から第8巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:13 UTC 版)
第6巻と第7巻がキリスト教徒によるものであることについては、現代の諸論者の間で異論がない。それに対し、キリスト教的要素が強いとされる巻の中で最も長い第8巻は、様々な要素の組み合わせが指摘されている。 第6巻 第6巻はわずか28行の短い賛美歌で、イエスを磔刑に処したイスラエルをソドムの地と呼んで厳しく批判しつつ、イエスを称えている。19世紀から20世紀初頭に校訂を行ってきたメンデルスゾーン、アレクサンドル、ゲフケンらは、それを異教的な賛美歌と位置付けてきたが、有力な証拠があるわけではない。グノーシス主義的な一派であるケリントス派の思想との接点を指摘する者もいる。 成立時期については、2世紀初頭、3世紀などとする見解がある一方、年代決定の困難さも指摘されている。ラクタンティウスが引用していることから、その時期(300年頃)よりも前に成立していたことだけは確実である。明瞭な裏づけはないもののシリアで成立した可能性が指摘されている。 第7巻 第7巻は162行から成るやや短い巻で、成立時期は2世紀末から3世紀初頭に位置付けられるのが一般的だが、はっきりとした根拠はなく、懐疑的な見解も存在している。ラクタンティウスが『神学綱要』で引用していることから、それよりも前に成立していたことだけは確かである。成立場所も決め手を欠くが、シリアの可能性が指摘されている。 ロドス島、デロス島、シチリア島、エチオピア、ラオディキア等の様々な地名を順に挙げてそれらが直面する終末の艱難を予言しているが、その順列は雑然としていて、うまく編纂されているとは言い難い。終末に関する認識には、第1巻後半および第2巻との共通性も指摘されている。この巻もまた、ケリントス派との接点が指摘されており、他にもユダヤ人キリスト教徒との接点なども指摘されているが、懐疑的な見解もある。 第8巻 第8巻は500行とかなり長いが、成立時期の異なる諸要素が繋げられて成り立っている。最初の216行は十中八九2世紀のユダヤ教徒の作品とされ、ローマへの敵意から第4巻同様ネロの再来を期待する記述が見出される。こうした要素の存在によって、前半部分が2世紀後半に成立したと考えられている。ほかにも、サモスとアンモス、デロスとアデーロスなどの言葉遊びをはじめ、ユダヤ教色が強いとされる第3巻から第5巻までと重複する要素がいくつも含まれる。 それに対し、後半の217行から500行がキリスト教徒の作品であることを疑う余地はなく、3世紀頃の作品とされる。特に217行目から250行目はキリスト教シンボルを取り入れたアクロスティックになっており、各行の頭の文字を繋げると「イエス・キリスト、神の子、救世主、十字架」と読めるようになっている。このアクロスティックは後述するようにエウセビオスやアウグスティヌスにも引用されて古来よく知られており、15世紀末に最初に印刷されたのもこの箇所だった。 251行目から323行目までは予型論に触れつつ、イエスの奇跡や磔刑を、主として四福音書に依拠しつつ辿っている。324行目から336行目はシオンに呼びかけた短い句で、特にその冒頭は『ゼカリヤ書』第9章との類似が指摘されている。337行目以降は終末の描写で、途中からは神そのものの言葉(つまり神が一人称で語る言葉)が引用されている。429行目から479行目までは再びキリストについてだが、前段と異なりキリストの降誕が主題となっている。480行目から500行目までは、隣人愛の強調や偶像崇拝の禁止などを勧めている。 作成された場所ははっきりしていない。ごくわずかにエジプトで書かれた可能性のある詩句はあるものの、全体としてはローマ帝国の支配下にあった小アジアのどこかという程度にしか絞られていない。
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