着こなしの文化と流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 04:11 UTC 版)
古くは旧制高等学校を中心にバンカラを象徴するスタイルとして、制帽や学生服、マントなどを故意に破ったり、油や、蝋を塗って不潔にする、光沢を出すなど「粗末なもの」「ボロいもの(あえてボロくしたもの)」を好んで着用する破帽弊衣と呼ばれる文化が存在した。これは当時のエリート階級である高校生が、「人間の価値は外見ではなく中身である」というテーゼを主張するために行ったデモンストレーションの一種であると考えられる。こうした傾向は進学成績などが優秀でプライドの高い一流校ほど顕著であり、現在でも一部の旧ナンバースクールなどでは伝統として受け継がれている例も見られる。 また、昭和30年代以前の学生服に既製品は少なく、基本的に全てオーダーメイドであり、標準型といった統一基準も無かったため、仕立屋や個人の好みによって一般的な学生服のデザインにある程度の個性的なデザインを追加することも既に一部では行われていたようである。こうした変形制服の歴史は戦前の職業軍人たちの間にも見られ、特に大正から昭和初期の青年将校文化華やかりし時代には、軍規に抵触しない範囲内で服地の色調や品質、ディテールやシルエットの優美さなどを競い合っていたといわれている。それらの流れが敗戦を挟んで昭和30年代以降加速し、一部の不良等に着用されたラッパズボン・マンボズボン・スカマン等の個性の強い改造・変形学生服に繋がったといえる。 おおまかに変形学生服の流行の変遷をたどるならば、上衣においては1970年代が、長ランにハイウエスト・ドカン、1980年代前半がセミ短にボンタン、1980年代後半〜1990年代が極短にボンタン、1990年代中盤〜中ランにスケーターであり、現在の流行は短ブレにスケーターであるとされている。80年代のファッションの変化について、゛硬派″を信条とするツッパリから異性を意識した゛モテたい″ツッパリを意識するようになったといわれている。いうまでもなく、一つの傾向であり、これとは異なる流行の変遷があった地域も多い。 なお、1981年発売の横浜銀蝿によるセカンドシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」で、「ヨーラン」「ドカン」という歌詞があることから、この当時でも長ランにドカンのスタイルが、ツッパリの間で一定の人気を得ていたことが推測できる。 しかし、『俺たちの好きなBE-BOP-HIGHSCHOOL―ツッパリ青春漫画の傑作と80年代ヤンキー伝説(別冊宝島)』(宝島社、2003年)を参照すると、「古くは70年代の『花の応援団』で描かれる異常に丈の長い長ランは男の証だったが、実際にこれを着ていたのは本当に応援団ぐらいのものであった。BE-BOP世代である80年代、ヤンキーマインドにヒットしたのは中ランか短ランである」とされている。ただし、『BE-BOP=HIGHSCHOOL』の主人公二人は、トオルが丈90cmの長ラン、ヒロシが丈60cm前ボタン4つのコンポラであって、シンペーの長ランに対し「当時、かなり憧れるヤツも多かった」という文言もあり1980年代に完全に長ランが衰退したわけではないものと推測される(以上、pp. 70–71)。ズボンについては、「80年代の主流の筆頭は、やはりボンタンだろう。『わたり』といわれる太股の部分が太くなっており、これでスソが絞ってあればボンタンスリム、通称『ボンスリ』となる。」「ヤンキーズボンは流行の変遷こそあれ種類は豊富で、古き伝統を持つ『ドカン』、ヒザを太くした『バナナ』などがあったが、当時のヤンキー人気はボンタンからボンスリへと向かっていた。ワタリはどんどん太く、スソはますます細くな」ったとされている。ここでは、1980年代はボンタンの興隆が懐述されている。しかし、ここで紹介されるヒロシやトオルのズボンはワタリ38cmスソ25-26cmと、それほど変形度の強いボンタンではない(以上、pp. 72–73)。 また、1988年9月号から連載が開始された漫画「今日から俺は!!」において、三橋貴志が短ラン+ボンタン、相棒の伊藤真司が長ラン+ドカンという対照的ないでたちで登場するように、1980年代後半は流行の移行期にあたるとも考えられる。一方で、湘南地方の高校付近を実地調査したところ「短ランと細身のズボンが主流」と述べる記事もあった ように地域差等もあって断定することは難しい。 1990年代中盤以降、脱変形学生服化が進む中でも詰襟のホックやボタンをかけずに胸襟を開けたままにしたり、校章や名札を装着しなかったり、B系ブームの影響などもあり腰パンスタイルや標準型の中でもサイズの大きなスラックスを選ぶなど、軽微な着崩しを行う学生は一般的に存在する。なお腰パン等によって、裾を引きずることにより磨耗が生じ綻ばせた状態を「裾ボロ」とも呼ぶ。腰パンをしていても、ルーズな印象を好むものは積極的にスソをひきずって「裾ボロ」にする者がいる一方で、歩きにくいなどの理由によりスソを安全ピンなどで留めることによって損傷させない者もいる。 変形学生服の文化は、時代による学生服の「一定の型」に対し、これを逆手に取ってあえてその型を崩す流れとして捉えることができる。ベクトル[要曖昧さ回避]は時代によってさまざまだが、「型を崩すことによる自己主張」は、時代を超えて受け継がれている。喫煙や飲酒などと同様に、規則に縛られることから逃避したいという思春期の反抗の一種であるが、反抗といった要素よりファッション性やラクな格好を求めただけの場合もある。いずれにしろ校則違反がなされることが多い領域であり、学校側と生徒側の間で緊張関係を生じうる(詳しくは服装の乱れの項を参照)。服装検査がいつ行われるか、抜き打ちで行われるか、どれくらい厳密に行われるか、違反が見つかった場合は没収されるか注意で済むのかどうかなどは、変形学生服を着る学生にとって、緊張の種である。隠しポケットやチェンジフラップのように教師の目を欺くような装飾もあり、また普段は変形学生服を着ていても服装検査の時だけ標準型を着用したり、教師の目の及ばない登下校時のみは変形学生服を着たり、教師の目に触れる際はワタリ巾を細く見せたりなど、学校側と生徒側の緊張関係から派生して様々な技術が生まれた。この緊張関係は、逆説的に新たな文化を生み出すきっかけとなっている。 また、学校や部活(応援団などは顕著)によっては先輩から後輩へと受け継がれる変形学生服もある。変形学生服に対する憧れを抱くきっかけも、マンガやドラマといったメディアの影響力が大きい一方で、身近な先輩の影響力も大きい。その反面、上級生以上の過激な変形学生服を着用することは、上級生の反感を買うため、裏校則と呼ばれるような暗黙のルールで禁止されていることもある。いずれにしても学生服文化は上級生-下級生の関係性に影響を受けている。同級生との関係でも、同調圧力(ピアプレッシャー)や、仲間意識など、クラス内の文化にも影響を受けるケースもある。 さらに、変形学生服全盛時代にそれを愛用していた学生が親となり、その子供が通う中学校や高校の制服が学生服指定の場合、懐かしさから変形学生服を子供に勧めていることも一部にあり、文化が伝達されているケースもある。この逆に親の嫌がる服を着ることは子の反抗の一形態であり、変形学生服を着用することは、親の目を意識することもある。さらに、兄のお下がりの(変形)学生服を着たり、兄の影響で弟が変形学生服を好むようになるなど、学生服文化は家族関係にも影響を受けているケースもある。 制服を着崩す生徒の心理については、服装の乱れ#服装の乱れにいたる生徒の心理を参照。 その一方で元々変形学生服文化の無い学校や地域もあったり、前述のような理由で変形学生服文化が廃れたりするケースもある。 ボタンには特別な意味付けが成されていることもあり、卒業式の日に女子が好意を持つ男子の第二ボタンをもらう風習が古くから行われてきた。なぜ第二ボタンかは、小説を元に広まった、心臓に最も近い部分だから等諸説ある。また、普段第二ボタンを開けたままにしていることは「恋人募集中」などといった意味が付されることも一部地域ではある。
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