略歴概要・人物
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1951年= 法務省で刑務官啓発誌『 刑政 』編集担当 (Arbeit)。 55年= 慶応義塾大学卒 同年→明治製菓(株)専門試験により技能入社 55~70年= 明治製菓本社宣伝部 : 市場表現企画制作、製品販促計画担当 62~68年= ACC・海外公募国際CM部門、国内TV-CM部門 : 授賞審査員、CM年鑑計画委員 63年= 東京コピーライターズ・クラブ発足で第1回受賞、会員に推挙 70~77年= 髙島屋傘下(株) 京成百貨店 : 新企業開設準備室課長、宣伝課長、催事課長、営業企画課長、営業本部営業フロア長 73~76年= 在職のまま上野商店連合会・再開発委員会 : 計画委員 74~75年= 在職のまま トヨタ自販(株) : 表現戦略企画嘱託 77~83年= (株) サンリオ : 宣伝局長、国際部専務室長、製品企画部管掌部門長、統合マーケティング事務局長 83年~= 神戸事務所 : 代表 84~96年= 横浜市・神奈川県傘下(財)横浜工業館 : 産業国際化推進委員、異業種研究組織指導コーディネーター 84~99年= 東逗子/札幌白石/広島竹原ほか各地大規模住宅地開発構想立案、地区Symbol Design創案 85~92年= 東京海上火災保険・社外啓発誌 『 WIGWAG 』 統括企画 & 総合編集長 86~89年= 郵政省ハイビジョン専門技術委員会 : 委員長、統括主査 86~89年= 東京都都市計画局・高度情報化(新副都心)計画委員会 : 専門委員 86~2001年= 横浜市港湾各地域再開発プロジェクト : 構想計画委員 88~96年= 通産省アジア産業振興政策立案プロジェクト : 現地専門計画委員 89~92年= NTT・電報事業部門改善計画プロジェクト : 専門計画委員 89~93年= 東京都板橋区産業情報計画委員会 : 専門委員、情報化指導委員 91年= 上海市・横浜市「上海~横浜経済研究会」: 基調講演者 91年= 上海政府・上海科学院「国際マーケティング技術革新世界会議」: 基調講演者 93~2005年= 東京コピーライターズ・クラブ : 幹事 (OA委員長、各研究プロジェクトリーダー) 93年= 台湾・彰化市「新開設テーマパーク」立案委員会 : 専門技術委員 93年= 通産省傘下「横浜輸入品総合促進センター」 開設委員会 : 専門計画委員 94年~= 日本マーケティング・プロデューサー協会 : 代表 95~96年= 福井市・鯖江市「国際めがねデザイン・コンペティション」: 審査委員長 95~2001年= 横浜市傘下(財)横浜産業振興公社 : 今後事業研究組織・指導コーディネーター 98年= 横浜市「上海商工業見本市/上海商業研究」企業調査団 : 団長、現地解説者 2000年= 横浜市「Edinburgh~London~Paris=今後Gift製品研究」調査団 : 団長、現地指導者 06~07年= 横浜市磯子区地区再開発協議会 : 計画構想理事 06年= 経産省傘下(財)海外技術者研修協会「途上国役職者マーケティング研究会」 : 指導担当 11~12年= King Record (株) 『 明治製菓CMコレクション・小粒チョコ篇 』 DVDに制作CM掲出 & 解説出演 12年= カレッタ汐留・吉田秀雄記念財団 《 アド・ミュージアム 》 『 日本のCMぜんぶ 』 展に、制作CM掲出 & 本人業績= 写真パネル紹介 ~現在= 公共団体・行政・企業等 : 各種市場構想計画委員、表現改善指導・他 受賞 日本初のカンヌ国際広告映画祭金賞、テレビCM電通賞、ラジオCM電通賞、PS広告電通賞、ACC会長賞、ACC-TVグランプリ、 ACC-Radioグランプリ、ACC-劇場CMグランプリ、ACC-TV金賞、ACC-Radio各賞、日経・読者が選ぶ広告賞,民放大会Radio- CM賞、東京コピーライターズクラブ創設第1回= 新人賞、他多数 表彰 ACC-TVCM=名誉殿堂入り/タイ王国政府工業省表彰/上海人民政府上海科学院褒賞/カザフスタン共和国スポーツ大臣表彰/ 明治製菓社長褒賞 京成百貨店代表取締役表彰9回/ADミュージアム「日本のCM全部展」略歴・写真表彰、他 著作 『日本の広告キャンペーン』(誠文堂新光社・63年、共著) 『販売促進ハンドブック』(ダイヤモンド社・64年、共著) 『明治製菓テレビCM表現をめぐって』 (AD懇談会・66年) 『Conference Proceedings』 (上海科学院・92年、共著) 『こちら、都会派モノ作り』(清文社・93年、共著) 『明治製菓CMコレクション 小粒篇=DVD 』(King Record 2011-12年、共作) 執筆 ( 略 ) 趣味 1947~51年= 日本天文学会員 / 56~57年= 企業在籍兼務で慶応義塾大学 体育実技 (山岳) 教官/58~59年= 日本山岳会員に推挙、慶應義塾大学から派遣~インド、ネパールに渡航、チベット国境 峻山岳地帯・中央ヒマラヤ山域で世界初踏査、単独初登攀、登路発見等 / 95年= 慶大山岳部OB会から派遣~中央アジア・カザフスタン天山々脈で初登攀 / 96~2002年= (在インド) 国際ヒマラヤン・クラブ会員、他
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略歴・概要・人物
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4歳でピアノを始め、高校生(筑波大学附属高校)になってヴォーカルスクールに通い始め、広瀬香美に師事。 2003年5月7日:アニメ『D・N・ANGEL』主題歌『白夜〜True Light〜』でビクターからCDデビュー。オリコン入りも果たす。同作品のラジオのパーソナリティとして、入野自由とタッグを組む。「宮本君、声優化計画」の影響か、声優としての活動も始める。 全体的にうっとりとした様子をしていたためか、入野自由によって「うっとり」と呼ばれるようになる。 声優初挑戦作品は『機動戦士ガンダムSEED』シャニ・アンドラス役。ゲームのアフレコや特別編でも、彼が一貫してアフレコに参加している。 アニメとのタイアップが薄くなってからは、改めて本格的に歌手として活動を開始。さらに『D・N・ANGEL』のラジオで培った経験を生かして『宮そばRADIO』をスタート。2008年現在100回目の放送回数を突破したネットラジオである。 ピアノ弾き語りを得意とし、それを生かしたコーナーを『宮そばRADIO』で行っている。 声優化計画をやっていた際、何故か女性キャラクターの役が入野自由やリスナーにハマり、途中から「女の子声優化計画」とタイトルが変わってしまうほど、ネタ要素の強いコーナーとなる。 デビュー当時の歌唱力の評価は高いとは言い難い。しかし、現在は独自の弾き語りと独特の歌声を磨き、知名度は低いながらも、人気を集めている。 ラジオ番組において、本来「(笑)」の部分は「かっこわらい」と読む。しかし彼は「かっこしょう」と読んでいる。 ある着メロサイトの特集にて、彼の紹介文が「ピアノの貴公子」とされている。事実ラジオのリスナーの送ってくるイメージから即興で音楽を紡ぎ出すことが出来、その実力の高さが窺える。 自分の音楽を確立する為、tri-Arionレーベルを立ち上げ、独立。2008年4月より、芸名を「Shunn」へと改名した。
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