派生作とは? わかりやすく解説

派生作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:57 UTC 版)

芦屋道満大内鑑」の記事における「派生作」の解説

(「文芸」における本作の派生作・2次創作は、明治以降現在まで把握困難なほどの数が存在するため、ここでは「演芸」のみを扱う) 本作以前しのだづまものの浄瑠璃・歌舞伎演目多数存在し頻繁に上演されていたが、本作登場するとそれらは影を潜めもっぱら本作上演されることとなる。その意味で、本作しのだづまものの決定版ということができる。また、人気であったにも関わらず、「書替狂言のような大規模な改作それほど多くないことが、本作完成度の高さ物語っている。とはいえ少数ながら本作の派生作は存在する嫁入信田妻よめいりしのだづま嫁入信田褄。歌舞伎・浄瑠璃寛政5年1793年大坂北新地初演の『嫁入信田妻』は、数少ない芦屋道満大内鑑』の改作のひとつである。上演回数はかなり多く明治入って頻繁にかけられ演目である(記録上は大歌舞伎における最終上演明治34年1901年)。上演台本明治期写本日本大学所蔵されていることが確認されているが、一般に公開されておらず、印影翻刻未刊行であることから、内容詳細について不明内容について簡単に触れている『系統歌舞伎戯曲解題によれば、大体は「大内鑑」なのだが、保名葛の葉が船での馴れ染め原文ママ)に助ける。保名の許へ葛の葉姫を伴うのが与勘平である。左近太郎の妻お町が女非人になっていたが、照綱は妻を殺して六の君身替り父権之守照久へ差出すなど、「大内鑑」にない筋も加わっている。 とされており、『芦屋道満大内鑑』の改作であることが明白である。 信田妻名残狐別しのだづまなごりのこわかれ歌舞伎享和2年1802年)、3代目瀬川路考菊之丞)が「口筆」を演じた伝説的な公演外題の「名残」は路考金比羅参詣出かける前の最終公演意味する外題が独自なので改作とも考えられるが、この公演番付を見る限り、『芦屋道満大内鑑』の2段目(信田社の段)と4段目(子別れの段)の上であった可能性の方が大きい。 信田妻粧鏡しのだづまけはいのすがたみしのだづまけはひのすがたみ浄瑠璃文化5年1808年9月大坂上演され本作改作である。正本残っていないので内容詳細不明だが、段名に「入唐のだん」、人形役割に「きび大臣」の記述があることから、『簠簋抄』『安倍晴明物語』といったしのだづま伝承原典にあった吉備真備伝説冒頭語られたことが推定できるこれだけでは単なるしのだづまものの可能性も残るが、人形役割に『芦屋道満大内鑑固有の登場人物多数見られるので、改作であることがわかる。 左近太郎雪辻能(さこんたろうゆきつじのう歌舞伎慶応元年1865年10月江戸市村座初演書替狂言。2幕3場構成作者河竹黙阿弥単独演目ではなく、『芦屋道満大内鑑』の増補体裁をとり、演目としての外題も『芦屋道満大内鑑』とされた。番付を見る限り上演では保名内の場の前に挿入される形をとったものと推定される内容原作整合性がなく、現代風にいうならパラレルワールドものとなっている。プロット一言で表すなら「芦屋道満のいない『芦屋道満大内鑑』」。六の君誘拐殺害への加担道満当初から拒絶した世界の話であり、原作道満サイドパート2段目の前半とそこからつながる3段全部)を置換する形をとる。左近太郎誘拐され六の君奪還し花町実家匿うが、取り戻そうとした岩倉治郎太夫花町の父である鼓師畑作拉致し、無事返して欲しければ六の君首級差し出すよう要求する。この苦境脱するために、当作品オリジナルキャラクターである花町の妹)・柏木衛門之助(左近太郎の弟)の恋人同士が自らを犠牲とする。道満抜きの話であるため、原作由来人物多く原作における脇役陣)の設定原作とは大きく異なる。 信田褄妙術一巻しのだづまみょうじゅついっかん歌舞伎明治10年1877年10月京都東向演劇上演された『信田褄妙術一巻』の配役には、『芦屋道満大内鑑』の1段目にしか登場しない御前加茂後室乾平馬3段目にしか登場しない芦屋将監・妻花町・妻筑羽根の名前が見える。これらの登場人物すべてが4部構成中の前演劇登場しているので、『芦屋道満大内鑑』の改作、あるいは名場面ダイジェスト思われる。ただし公演はこの1回だけで、内容について伝わっておらず、推測の域を出ない。なお、この『信田褄妙術一巻をもって芦屋将監花町・筑羽根配役された記録途絶えており、『芦屋道満大内鑑』の3段目に相当する場面歌舞伎における上演なくなった保名清元) 現在でも上演される派生作としては、『芦屋道満大内鑑』の2段目中の所作事である「小袖物狂い」を元にした清元節の『保名』がある。四季七変化深山桜及兼樹振』(みやまのはなとどかぬえだぶり)の春の部のひとつで、作詞篠田金治(2代目並木五瓶)、作曲清沢万吉初代清元斎兵衛)、振付藤間新三郎藤間大助初代藤間勘十郎)。初演文化15年1818年)、江戸都座演じたのは3代目尾上菊五郎清元名曲として伝わっていたが、振り付け幕末一度途絶える。これを明治入って9代目市川團十郎復活させた。さらに大正11年1922年6代目尾上菊五郎新たな解釈のもと、斬新な演出および舞台装置担当田中良)でリニューアル図り、現在はこの6代目五郎の型が主流である。 葛の葉障子の曲曲芸本作元にした各種演芸、たとえば漫才浪曲浪花節といったものが多数制作されたが、それらが現在まで残ることはなかった。その中で唯一の例外ともいえるのが『葛の葉障子の曲』である。これは天保2年1831年)に江戸両国で、割熊(後に弥吉改名率い一座披露した見世物小屋曲芸で、大ヒットした。『芦屋道満大内鑑4段目での葛の葉の曲書き場面モチーフにした「足芸」であり、明治以降演目としての命脈保ち、現在でも木下大サーカス伝統芸として上演されている。

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パワプロクンポケットシリーズ『パワプロ5』発売後、サクセスモードをどこでも手軽に楽しめるソフトとして、ゲームボーイ専用ソフト『パワプロクンポケット』が発売され、その後パワプロクンポケットシリーズとしてもうひとつのシリーズとして展開された。なお、パワポケシリーズのメインシナリオ「表サクセス」の世界観は、『パワプロ5』のものと共有された、これは『パワプロクンポケット』の1年目は『パワプロ5』の2年目と同じ年に設定されたため。詳細は「実況パワフルプロ野球5#パワプロクンポケットシリーズとの関係」、「パワプロクンポケット」、および「パワプロクンポケットシリーズ」を参照コラボレーションパワプロオリジナルキャラとプロ選手以外のキャラに出演することは少なかったが、他の作品および実在の非NPBチーム・人物とのコラボレーションした作品が存在する。ただし『パワプロ2020』など、サクセス関連モードではなく他のモードとのコラボレーションを行う場合もある。『パワプロ12』では茨城ゴールデンゴールズとのコラボレーションとして、プロ球団以外初の実在チームがサクセスチームとして登場し、当時同チームの監督萩本欽一もキャラクターとしてサクセスモードで登場する。『パワプロアプリ』では作品の性質から、様々な人物・作品とのコラボレーションを行う。詳細は当該記事を参照。『パワプロ2018』では、『MAJOR』、『MAJOR 2nd』、『ダイヤのA』、『報道ステーション』とのコラボレーションを行っていた。ときめきメモリアルとの関連性
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