日本のプロレス団体との関係とは? わかりやすく解説

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日本のプロレス団体との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 05:49 UTC 版)

ワールド・レスリング・アソシエーション (ティフアナ)」の記事における「日本のプロレス団体との関係」の解説

日本プロレス界との関係としては、創生期FMW深く関わりコネクション築いてきたことが挙げられるWWA女子王座新設した際には、その初代王者決定戦東京開催1990年11月5日駒沢オリンピック公園総合運動場体育館)。日本代表として出場コンバット豊田が、アメリカ代表のビースティ・ザ・ロード・ウォリアーを破り初代王者に就いている。 1991年FMWDILAソビエト連邦プロ格闘家組織と共にタイトル管理業務とするWFDAを組織ブラスナックル王座大仁田厚保持)の後継にあたる世界マーシャルアーツ王座世界マーシャルアーツタッグ王座認定若手だった上野幸秀市原昭仁も、WWAテリトリーだったメキシコ海外修業行っている。 1992年5月FMWが(団体ごとパッケージという形での)初の海外遠征赴いた際に回ったのも、やはりWWAエリアだったメキシコティファナアメリカロサンゼルスだった。

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日本のプロレス団体との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 08:48 UTC 版)

NWA (プロレス)」の記事における「日本のプロレス団体との関係」の解説

日本では日本プロレス1960年代後半NWA加盟したそれ以前にも正式な加盟はしていなかったものの、力道山存命中から、当時世界王者であったルー・テーズ招聘実現させタイトルマッチを組むなどNWA本部とは友好な関係を構築し正式な加盟後も日プロ崩壊まで、芳の里淳三名義人として加盟していた。 ジャイアント馬場が日プロ脱退し設立した全日本プロレスは、馬場が日プロ時代アメリカ遠征していたことからNWAとの関わり強く全日本創立直後日本ではプロがすでに加盟していたにも関わらず臨時総会まで開いて加盟認められている(馬場友好関係にあったアマリロプロモーターである、ドリー・ファンク・シニア強力な働きかけによるとされる)。1984年より馬場は、4期渡って日本人唯一のNWA第一副会長務めた。だが、ジム・クロケット・ジュニア権限強大化したことによってNWA内部バランス崩れアライアンスとしてのNWA体制形骸化したことや、NWAから「鶴田天龍世界ヘビー級王座への挑戦認めない」という指示出たことにより、全日本NWAとの関係見直すようになり、最終的に1990年代前半脱退し団体内での闘いシフトしていった。 新日本プロレスに関しては、当時の社長であったアントニオ猪木加盟申請したが、NWA側から拒否され坂口征二新間寿新日本側の加盟名義人として申請し加盟認められている。だが、NWAへの加盟認められたものの、世界ヘビー級タイトルマッチ全日本のみに限られ新日本では行うことはできなかったりと、待遇には差があった。猪木はこれを逆用して「NWA王者は俺が恐くて挑戦逃げた」というアングル展開した新日本は、NWA脱退していたWWWF(現:WWE)と提携を結び、WWWFNWAに再加盟してWWF改称した後も、NWA反主流派同士として関係は続いたその後WWF提携解消に至ると、全日本NWA徐々に疎遠になっていったのとは対照的にNWAとの関係深め当時提携していたWCW連携し空位になった世界ヘビー級王座決定トーナメント開催するなどしていたが、WCWNWAから脱退したことで、新日本脱退している。 なお、全日本新日本の他にも、国際プロレス吉原功社長1970年加盟申請しているが、日プロによる妨害工作却下されている。また、大木金太郎韓国プロモーターとして加盟している。新日本脱退からプロレスリングZERO-ONE加盟までは、I.W.A.JAPANレッスル夢ファクトリーUFO加盟していた。I.W.A.JAPAN創始者ビクター・キニョネスプエルトリコプロモーターとして1994年から2001年まで加盟していた。 女子では日本女子プロレス創立して間もなく松永高司名義人として加盟していたが、松永日女離脱して全日本女子プロレス旗揚げしたためそのまま全女に移るも、1970年WWWA権利獲得したのもありNWAとの関係疎遠になっていた。しかし、1970年代末期に全女ファビュラス・ムーラと、その一門NWAチャンピオンとして招聘し、ムーラ女子王座ナンシー久美女子タッグ王座横田利美&塙せい子に、それぞれ挑戦させている。2000年にはNEO女子プロレス加盟しNWA女子パシフィック王座&NEOシングル王座創設している。 2001年橋本真也率いプロレスリングZERO-ONENWA加盟し実質的な日本支部として活動行い、「NWA」の冠の付いた王座複数認定していた。2004年ZERO-ONE崩壊したことで関係は一時途絶えるが、後継団体プロレスリングZERO1では引き続き独自にNWA」の冠がつくタッグ王座管理認定続けた2011年にはZERO1NWA加盟実質的には再加盟)したことで、これらZERO1管理するNWA王座NWA側により追認された。しかしザ・シーク2代目)が持つNWA世界ヘビー級王座剥奪抗議して同年限りNWAから脱退し、同じNWAの略称を持つ独自の組織たる「ニュー・レスリング・アライアンス(New Wrestling Alliance)」を創設した一方ZERO-ONE崩壊後当時新日本取締役だったサイモン・ケリー猪木NWA加盟し、再び新日本と関係を持つが、サイモン新日本退社IGF旗揚げに伴い新日本NWAから脱退し代わりにIGF加盟IGFでは澤田敦士NWAヘリテイジ王座獲得しており、NWA傘下当時ZERO1主催大会火祭り」にNWAとして出場した2013年3月NWA側から新日本挑戦表明映像公開され同年4月開催予定新日本両国国技館大会への参戦直訴し、世界ヘビー級王座世界ジュニアヘビー級王座世界タッグ王座タイトルマッチが行われるなど、再び交流を持つようになった。だが、あくまで新日本では、同団体王座であるIWGP格上王座として対応している2015年NWA世界女子王者サンタナ・ギャレットスターダム参戦し、同団体にて世界女子王座タイトルマッチが行われることになった2016年以降新日本との交流無くなりその後DSW(ダイヤモンド・スターズ・レスリング)の興行NWA世界王者来日しタイトルマッチ行っていたが、翌2017年にはDSWとの関係も無くなりDSW2018年解散)、スターダムへ女子王者来日する事もなくなり日本プロレス団体とは交流の無い状態が続いている。

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日本のプロレス団体との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 13:39 UTC 版)

ROH」の記事における「日本のプロレス団体との関係」の解説

試合内容重視方針相まってROHへの日本人選手参戦者は多い。2019年現在新日本プロレス並びにスターダムとの業務提携結んでいる。過去にはプロレスリング・ノアからの参戦者が多くDRAGON GATE選手派遣実施していた。前述の2団体以外にも、選手個人として、または個人事務所通して参戦したことがあるものも多数いる。 主な日本人の参戦経験者は、武藤敬司小橋建太獣神サンダー・ライガー田中将斗大谷晋二郎ミラノコレクションA.T.丸藤正道KENTACIMA飯伏幸太坂井澄江松本浩代中川ともか栗原あゆみなどがいる。2007年2月には、森嶋猛ホミサイド破りROHヘビー級王座獲得3月には、土井成樹鷹木信悟ROH世界タッグ王座獲得している。 2003年12月27日には、「全日本プロレス vs ROH」と銘打たれ興行が行われ、全日本主力選手参戦している。 2006年9月12日発足したグローバル・レスリング連盟には設立当時から加盟している。 2007年7月16日ディファ有明7月17日大阪府立体育会館第2競技場で、ROH初の日本興行開催。なお、この興行は、友好関係にあるノアDRAGON GATE全面バックアップ行った2008年9月13日14日には、東京ディファ有明2度目日本興行開催1日目は、DRAGON GATE2日目ノア協力のもとに行われた(なお、2009年4月DRAGON GATEは、この大会におけるROHからのギャランティ未払いとなっていることを理由に現在は絶縁状態にあることを発表その後ROH離脱したゲイブ・サポルスキーを迎えてDRAGON GATE USA設立)。 日本でのテレビ放送は、2007年FIGHTING TV サムライ過去試合放送するレギュラー番組出来たほか(現在は終了)、日本テレビ提携しているノア選手登場する時はノア中継番組内で試合様子ダイジェスト放送することがある2009年6月13日ニューヨーク大会では、同日急逝した三沢光晴に対して選手全員追悼10カウントゴングを捧げた2012年5月2013年5月にはトロントで「Boder Wars」と大会名新日本プロレス合同開催2013年8月5日トロント大会には新日本プロレスKUSHIDA参戦2014年2月23日ROH新日本5月10日トロントで「Global Wars」、17日ニューヨークでWar Of The Worlds」共同大会開催する発表以降マット・ターバンマイケル・ベネットマリア・ケネリス新日本参戦2015年5月12日から16日かけてもトロントなど北米地区新日本共同開催オカダ・カズチカ棚橋弘至中邑真輔内藤哲也獣神サンダー・ライガー外道参戦2016年5月にもトロントなど北米地区新日本共同開催2019年4月6日にはマジソン・スクエア・ガーデン新日本プロレスとの合同興行「G1 SUPERCARD」を開催

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日本のプロレス団体との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 15:43 UTC 版)

AAA (プロレス)」の記事における「日本のプロレス団体との関係」の解説

2000年後楽園ホール年間最大イベント「トリプレマニア8」を開催して横浜名古屋神戸大阪JAPANツアー開催2003年2004年には日本単独興行開催2007年9月3日ディファ有明プロレスリング・ノアとの共催で「トリプレセム」を開催2008年5月25日、「レイナ・デ・レイナス」にOZアカデミー女子プロレス選手参戦2010年3月19日メキシコノア所属選手森嶋猛&石森太二組がAAA世界タッグ王座獲得2011年10月23日全日本プロレス両国国技館大会でダーク・オズ&ダーク・クエルボ組が世界タッグ王座獲得2012年11月27日プロレスリングWAVEとのコラボレーション興行後楽園ホール開催して10回目となる「レイナ・デ・レイナス」も興行内に盛り込まれた。 2015年5月24日メキシコシティのパラシオ・デ・ロス・デポルテスで開催した第1回「ルチャリブレ・ワールドカップ」に日本から高山善廣高山堂)&石森ノア)&小峠篤司ノア)組とKENSO全日本)&3代目タイガーマスクフリー)&政宗フリー)組が出場2016年5月24日第2回「ルチャリブレ・ワールドカップ」に丸藤正道ノア)&マイバッハ谷口ノア)&石森ノア)組と曙(王道)&田中将斗プロレスリングZERO1)&日高郁人ZERO1)組が出場新たに立ち上げた女子部アジャ・コングOZアカデミー)&宮崎有妃フリー)&夏すみれWAVE)組が出場10月26日後楽園ホールで「Star Battle Japan 2016」を単独興行開催

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日本のプロレス団体との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 12:59 UTC 版)

アメリカン・レスリング・アソシエーション」の記事における「日本のプロレス団体との関係」の解説

日本プロレス団体とはNWA日本プロレス業務提携結んでいたため、その対抗策として1970年国際プロレス業務提携結んだAWA世界ヘビー級王者バーン・ガニアをはじめ、AWA世界タッグ王者マッドドッグ・バション&ブッチャー・バションニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンス初来日の「まだ見ぬ強豪」だったダスティ・ローデスワフー・マクダニエルなどのスター選手続々国際プロレス来日している。その一方でビル・ロビンソンモンスター・ロシモフなど、国際プロレス参戦していたヨーロッパ選手AWA登場して、彼らのアメリカ進出契機ともなった。しかし、団体エースだったストロング小林離脱TBSテレビ放送打ち切りなどで経営状態悪化した国際プロレスは、高額なブッキング料が必要とされるAWAとの提携1975年解消カルガリー居住していた大剛鉄之助ブッカーに、カナダ外国人選手新し招聘ルートとした。 以降AWA全日本プロレス提携開始したが、もともと全日本プロレス国際プロレス友好的な関係にあったこともあり、1979年から1980年にかけては、当時AWA世界ヘビー級王者ボックウィンクルが国際プロレス再登場し、ラッシャー木村大木金太郎相手防衛戦行った。ガニアもこの時期国際再登場しており、国際看板タイトルIWA世界ヘビー級王座をガニアが一度奪取しているのは業務提携ではなくこの頃のことである。1981年国際プロレス崩壊後日本での提携先を全日本プロレス絞り1984年にはジャンボ鶴田日本人初のAWA世界ヘビー級王者となっている。活動末期1980年代末からは、マサ斎藤仲介新日本プロレスとも関係を持つようになった斎藤はかつてAWAヒールとして活躍していた。なお鶴田も斎藤もガニア同様レスリングオリンピック選手からプロに転向した人物である)。女子プロレス団体では1980年代後半ジャパン女子プロレス接点持ちAWA世界女子王者シェリー・マーテル来日して防衛戦行っている。

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