援護法適用のための偽証との見方とは? わかりやすく解説

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援護法適用のための偽証との見方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 04:40 UTC 版)

沖縄戦における集団自決」の記事における「援護法適用のための偽証との見方」の解説

渡嘉敷島・座間味島事例などについて、軍による強制であるとの証言が行われてきたのは、援護法適用を受けるための偽証だったのではないかとの主張もある。ただし、これが当時島に駐留した部隊関係者以外の者からも強く主張され始めたのは、2000年宮城晴美著した「(母の遺したもの)」の中でその母である宮城初枝(座間味島)が自身には梅沢自決指示したことはなかったことが書かれ、それを梅澤裕と赤松次の遺族2005年起こした後述名誉棄損訴訟提訴理由の中で挙げてから以後のことである。下記議論中の発言証言は、2005年以前発言証言とされるものについても、その幾つか実際に聞かれるようになったのは、しばしばこの2005年の裁判以降のことであることに注意する必要がある。(なお、渡嘉敷取りあげた曽野綾子の「ある神話の背景」(1973年)の中にも渡嘉敷島赤松隊員であった兵士から、既にこの主張自己正当化のためになされていることが書かれている。その一方で渡嘉敷場合は、自決命令あったからというよりも、そもそも島民がほぼ何かしらの軍の要請動員されていたため、全員準軍属として援護法適用対象となったのであることも、曽野は同書指摘している。しかし、同時に、"役所というものは意地悪なのであるから、援護法適用対象なるには軍の自決命令があったと主張する必要がある"という意識島民方にはあったに違いないと、曽野は、純然たる民間人の島側住民の話は聞かずに元赤松隊の兵士の話だけで事実上決めつけている。) 宮城晴美(座間味島)は「厚生省職員年金受給者調査するため座間味島訪れたときに、生き証人である母(宮城初枝)は島の長老呼び出され命令があったと言って欲しいと頼まれ調査対し隊長命令聞いていないが命令があったことにした」(『母の遺したもの2000年版)と自著記していた。しかし大江岩波沖縄戦裁判が始まると、玉砕命令に関する部分については、米軍上陸前夜その時点の自分らの直接出来事述べたのであり、梅澤らの提訴理由は「母は直接聞いていない」とした箇所都合よく利用されたもので、集団自決自体は軍の強制であると新聞主張した。(なお、長老からの初枝への依頼は、梅澤隊長元に自決の話をしにいった5人の唯一の生き残りということ証言依頼が来たもので、島民側もその時そこで自決決定されたと思っていたためである。) 櫻井よしこは、週刊新潮自身コラム日本ルネッサンス』において、宮城初枝は、上記告白後、「国の補償金とまったら、弁償しろ」などと村民等から非難浴びることとなったが、彼女が再び発言変えることはなく、数人住民真実語り始め自決命令宮里盛秀助役下したと書いている。(ただし、原文を読む限り櫻井自身実際に何か見たとか聞いたとか云ったことではなく、"きっとこのような事が起こったではないか"という、櫻井想像述べただけのものであるように思われる。)一方上記『母の遺したもの』の著作者である娘の宮城晴美は、集団自決命令について座間味島の民間人全員直接告げられていなかったとしても軍からは島の指導者層に伝えられていたとする。 『神戸新聞』は1987年4月18日付け記事で、座間味島宮里盛秀助役の弟の宮村幸延が、「兄の宮里盛秀(当時助役兵事係)は軍から自決命令受けていない、梅澤命令説は援護法適用を受けるために創り出されたものであった」 と認めた報じた。ただし、これに関し宮村幸延は、梅澤から”軍命はなかった。住民自発的に集団自決した”という内容文書に「公表しない家内見せるためだけのものだ」として押印してくれと頼まれ、いったんは断ったものの、その後直接面識はないが宮村戦友に当たると称して訪ねてきた人物と共に夜通し泡盛呑み翌朝酔っている中で再訪してきた梅澤から頼まれ、つい文書押印したものだと生前語っていたことが、後記名誉棄損訴訟の中で認められている(当該訴訟起こされたのは宮村幸延が亡くなってからである)。また、宮平春子宮里宮村兄弟の妹)は、さらに集団自決事件当時そもそも宮村幸延は徴兵福岡行って座間味はおらずこのような文書内容証明出来る筈もないとした上で、この発言内容認めている。 戦後琉球政府軍人軍属遺族援護業務携わった照屋昇雄は、「遺族たちに援護法適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類作った当時、軍命令とする住民1人もいなかった」「戦後島の村長らが赤松次元大尉連絡し命令出したことにしてほしいと依頼し赤松大尉から同意得て本当命令していないが)命令があった事となった」と語っている。ただし実際には、赤松自身は単に自決自分命令したものではないと語ったことしかない。(なお、座間味梅澤の方は、宮城初枝から自決命令聞いていなかったとの告白受けた時に島の人が助かるならば自分悪者になるのはかまわない自身家族真実伝われば十分と語っている。娘の宮城晴美は、このとき母の初枝雑誌投稿したことがあったことまでは語っていなかったようで、それが梅澤裏切られたような思い与えたではないか解している。)また、照屋昇雄は自らを昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課に勤務していたと述べるが、彼が社会局援護課で勤務始めたのは琉球政府資料に依れば昭和33年(あるいはせいぜい昭和32年10月から)とする主張もあり、沖縄集団自決そのものについて適用方針自体遅くとも昭和32年7月には決まっており、同年事前に行われた支給対象者の聞取り調査には照屋援護職員として間に合っていなかった筈で、照屋主張信頼できないとする説がある。 中村粲は、当時、島にいた守備隊兵士対象とした自身調査結果として命令がなかったことが明らかであり、年金支給のために軍命令があったという証言発生した」とする。 他には、赤松部隊関係者1970年にこの時の村長らに招かれ沖縄訪問した際に激し抗議運動沖縄本島直面し記者会見行ったが、そこで赤松部下であった連下政市元小隊長が「もし本当のこと言った大変なことになる。真相はいろんな人に迷惑がかかるから言えない」と語ったことを、援護法適用結びつける向きもある。ただし、彼らの沖縄訪問目的はあくまで英霊慰霊のためと主張一貫しており、彼ら自身懺悔という言葉使ったともなく会見報道印象限りでは、迷惑云々事件当時旧軍関係者に対してであり、あくまでも内輪向き都合語った主張あるよう見受けられるそもそも援護法適用については、沖縄復帰にあたって厚生省事前調査悲惨な沖縄戦状況から救済措置を取る必要が痛感され、そこで、住民がしばしば軍のための作業協力物資確保動員されときには末端兵士にまで食事の提供道案内・情報提供をしていたことに着目し、これらの行為があれば、純然たる雇用関係でなくとも、軍のもとに置かれ何らかの身分類似の関係があるとして、援護法適用対象にすることが可能ではないかとして考えられたものとされる準軍属という身分設け、その中に戦闘参加者という類型立て、さらにその中で集団自決をした者も対象とされた。何を対象とするかについては軍への積極的な協力が線引の基準とされたとも言われるが、集団自決関し文言上は軍命の有無要件とされていないまた、援護法性格上、雇用等の身分類似の関係基づいて権利発生するものであり、その身分戦傷病・戦没したときには本来当然に適用対象となる筈のものである。むしろ、純粋な法理論問題としては、軍の強制ということ殊更強調すれば、積極的な協力者ではなく軍の不法行為による被害者ということになり、また別種法律適用問題ではないかとの議論なりかねない。この点について、石原昌家は、軍強制による集団自決となれば積極的な協力者とされないので寧ろ援護法適用対象から除外されるとしている。現に、戦闘参加者の類型中、壕提供に関しては、兵士らに壕から追い出され住民その事実のまま援護法適用申請すると、(提供という言葉対す審査担当者単なる言語感覚の問題であったのかもしれないが)自発的な壕提供・軍協力でないとして援護法適用却下されることがあり、申請窓口担当者に"厚意で"壕提供に書き直させられるケース生じているとされる。 これに対して石原俊は、集団自決に関して事実上軍の強制があったことを前提援護金が支給されていること、また、行政担当部門への取材結果として、軍命を受けた結果として軍と自決者の間に命令を受けるような身分類似の関係発生したものとして行政担当者から扱われているらしきこと、あくまでもその意味において認定に軍の命令要求されているようであることを報告している。(石原昌家積極的な協力ということ協力の質や貢献程度問題として考えたようであるが、審査担当官としては、例え自発的な難民誘導のように軍の要請全くない場合適用不能だが、根こそぎ動員単なる集合命令であっても軍命を受けて応じたという事実があれば協力者として準軍属身分発生し、死が集団自決であれば私的な自殺でなく戦死一種として認定十分だったではないか考えられる宮城晴美自身も軍命が必要だ思っていたが、これは後に作られた説であり、慶良間諸島場合当初段階から全て認定する方針であったことを知ったとしている。もちろん、そうであっても住民側で自決命令まで軍から出ている必要がある誤解していた可能性はある。) 家永三郎は、『太平洋戦争』の第二版1986年)では、赤松命令に関する記述削除している(ただし梅澤命令説は削除していない)。 しかし、大江岩波沖縄戦裁判大阪高裁2008年10月31日判決)は、次のように判示した。最高裁2011年4月21日判決)も支持している。 宮城晴美『(母の遺したもの)』について。「『母の遺したもの』から集団自決について援護法適用のために梅澤命令説が捏造されたとは 認めることはできない。」 宮村幸延の「証言」と題する親書について。作成経緯疑念がある上、宮村幸延は、「集団自決発生した際には、座間味島にいなかったのであって集団自決は 盛秀の命令行われたとか、梅澤命令実際にはなかったなどと語れ立場になかったことは明らか」 「当時事情知らず日本軍の関係や集団自決背景には通じていないのであり、自決命令について語れ立場になかった」として、証拠採用しなかった。 照屋昇雄の証言について。「反対尋問経ていないこと」「あいまいな点が多く裏付け調査がされた形跡もないことなど問題極めて多いものといざるを得ない」よって「照屋昇雄の話は全く信用できず」として、証拠採用しなかった。 以上のように原告提出証拠信用性否定した上で、「当局から、援護法適用のため自決命令出したことにしてくれなどという依頼なされた形跡はなく、梅澤その様依頼受けたことを述ぺていない厚生省現地調査をしているのであり、旧日本軍側への調査なしに(援護法適用が)なされたとは考えにくい」「梅澤命令説及び赤松命令説は、沖縄において援護法適用意識される以前から具体的な内容ともなって存在していたことが認められる」。「日本軍がその作戦様々な形住民を協カさせ、軍と行動を共にさせるなどして集団自決などの悲惨な結果招いていることは沖縄戦全体の特徴(であるとして厚生省広く適用認め認定要綱作成しており、なかでも慶良間諸島は)戦闘に協カした住民広く準軍属として処遇することになっていたのであるから、梅澤命令説及び赤松命令説を後日になってあえて握造する必要があったとはにわかに考え難い。」よって「援護法適用のために捏造されたものであるとする主張採用できない」とした。

※この「援護法適用のための偽証との見方」の解説は、「沖縄戦における集団自決」の解説の一部です。
「援護法適用のための偽証との見方」を含む「沖縄戦における集団自決」の記事については、「沖縄戦における集団自決」の概要を参照ください。

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