援軍の呼び出し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 13:47 UTC 版)
「ヴァルター・ツィンマーマン (親衛隊隊員)」の記事における「援軍の呼び出し」の解説
1945年2月26日、ハマーシュタイン周辺の戦いで損害を被った「シャルルマーニュ」師団の兵力を補うため、グスタフ・クルケンベルクSS少将はツィンマーマンに対し、グライフェンベルク(Greifenberg、現グリフィツェ(Gryfice))に駐屯している「フランスSS擲弾兵訓練・補充大隊」(Franz. SS-Grenadier-Ausbildungs und Ersatz Bataillon)を援軍として連れてくるよう命令した。 ツィンマーマンは再びヴァレンティン・パツァークSS少尉 を伴ってグライフェンベルクに向かい、フランスSS擲弾兵訓練・補充大隊の約500名の将兵を3個擲弾兵中隊・1個工兵小隊に分けた「行進大隊」(Bataillon de Marche)として再編成した。 2月27日、ツィンマーマンと共にグライフェンベルクを出発した大隊は列車に乗り込み、トレプトー(Treptow、現トシェビャトゥフ(Trzebiatów))、コールベルク(Kolberg、現コウォブジェク(Kołobrzeg))経由でケルリン(Körlin、現カルリノ(Karlino))に向かった。ケルリン近郊で下車した大隊は残りの道のりを徒歩で移動し、3月3日夜にケルリン市内の「シャルルマーニュ」師団と合流した(その後、ツィンマーマンは翌日のケルリンの戦いで師団の補給将校を務めた)。
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