援護法の適用問題について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 05:24 UTC 版)
「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」の記事における「援護法の適用問題について」の解説
注: 原告らは,梅澤及び赤松大尉が集団自決を命令したという説が、集団自決の遺族が「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(以下、援護法)の適用を受けるために捏造されたと主張した。原告の集団自決の軍命令を記す諸文献等の信用性批判の根幹に援護法の適用問題があるため、集団自決に関する諸文献等の信用性の判断に先立ち,まず援護法の適用問題について判示された。 証拠を検討し認められた事実からすると、梅澤・赤松大尉命令説は,沖縄において援護法の適用が意識される以前から存在していたことが認められるから、援護法適用のためにこれが捏造されたものであるとする主張には疑問が生ずる。また、隊長の命令がなくても戦闘参加者に該当すると認定された自決の例もあったことが認められるから、梅澤・赤松大尉命令説を捏造する必要があったのか直ちには肯定し難い。 照屋昇雄についての判断 『産経新聞』『正論』掲載の記事で、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課に勤務していたとする照屋昇雄が、渡嘉敷島で聞き取り調査をし「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」ものの「軍命令とする住民は一人もいなかった」とし、集団自決の遺族たちに援護法を適用するために、照屋が赤松大尉に「命令を出したことにしてほしい」と依頼して同意を得た上で書類を作り、その書類を当時の厚生省に提出したとしている。しかし実際は、照屋が琉球政府に雇用されたのは、記録上、昭和30年代以降であり、その配属先は中部社会福祉事務所の社会福祉主事である。このため、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課に勤務していたとする『産経新聞』『正論』の記事には疑問がある。また当時、照屋が厚生省に提出したとする文書は、厚生労働省の行政文書不開示決定通知書で「開示請求に係る文書はこれを保有していないため不開示とした。」との理由で当該文書の不開示の通知をしたことが認められ文書は存在しない。この点でも『産経新聞』『正論』の記事には疑問がある。 宮村親書についての判断 座間味村の兵事主任兼村役場助役の弟である宮村幸延が作成したとされる昭和62年3月28日付「証言」と題する親書には、住民の集団自決は兄の兵事主任兼村役場助役の命令で行なわれたが、遺族補償のためやむを得ず自分が梅澤隊長命として申請したとの記載がある。これについては宮村自身が親書は自分が書いた文面ではないとの書面を残しているほか、親書は、宮村が梅澤とその同行者に酒を飲まされて泥酔し、梅澤から示された文書をまねて作成されたとの証拠があり、親書が宮村の真意を示しているか疑問がある。親書の作成状況についての梅澤の陳述書は不自然な点や他の証拠との矛盾があり措信しがたく、これは梅澤の陳述書全体の信用性を減殺せしめる。また、宮村は座間味島で集団自決が発生した際,座間味島にいなかったのであって「集団自決は梅澤部隊長の命令ではなく当時兵事主任(兼)村役場助役の兄の命令で行われた」と語れる立場になかったことは明らかで、この点でも親書の記載内容には疑問がある。以上のことから親書の内容は措信しがたい。 『母の遺したもの』についての判断 座間味村の集団自決について記された書物『母の遺したもの』の記載を子細に検討すれば、集団自決に援護法を適用するために梅澤の自決命令が不可欠であり援護法適用のために梅澤の自決命令を捏造したとのことを直ちに窺わせるものではない。 以上を総合すると、沖縄において、住民が集団自決について援護法が適用されるよう強く求めていたことは認められるものの、そのために梅澤赤松命令説が捏造されたとまで認めることはできない。
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