少女向け家庭小説作家として
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「ルイーザ・メイ・オルコット」の記事における「少女向け家庭小説作家として」の解説
家庭小説とは、中産階級の家庭崇拝をベースとする感傷的な物語のジャンルである。オルコットは、大人も楽しめる少女向け家庭小説作家として、アメリカでも特に敬愛される作家のひとりだった。『若草物語』第1部・第2部(1冊にまとめて出版されている)は、オルコットの作品の中で最も有名であり、アメリカ家庭小説の頂点であると評価されている。女性の生き方の追求も取り上げられ、リアリスティックでありながら、ユーモラスで温かみのある作風が特徴となっている。高潔で温かい家庭像を示し、現実のオルコット家を元に生まれた「アメリカで最良の家庭を具現する作品」として愛された。 出版以来、長期にわたって一般の人気を集め、現在では往時ほど読まれていないとはいえ、数種類の版が出版されており、日本でも翻訳・出版され続けている。一流の作品としての地位を保ち、19世紀の小説、児童文学の分野においても高く評価されている。 当時は「ムチ(体罰)を惜しむと子供を駄目にする」と考えられていたにもかかわらず、マーチ夫人が体罰を受けたエイミーを退学させたり、女性が外で働くことの重要性が語られたり、ジョーは「小さな淑女」の鋳型にはまることを拒んで生き生きと作家業に励み(シリーズが進むにつれ、ジョーもある程度社会の規範に従うことになるが)、メグと夫の家事・育児の分担が描かれるなど、オルコットは因習から逸脱した革新的な思想への関心、社会批判を、物語の中にやんわりと、かつ明確に差し込み、また、新しい家族の在り方を提示し、女性が働くこと、家事育児の分担などにより、「真に理想的な家族の愛の絆がもたらされる」という信念を力強く示した。当時の生活様式・社会道徳・社会構造に対する作者の視点の現代性が、現在の読者からも共感され、それぞれの特殊なエピソードが普遍的なものへと昇華され、現代の読者にも楽しめる作品となっている。 また当時は、悪人は悪人らしく、善人は善人らしく描かれるものだったが、オルコットは人間心理への鋭い洞察により、人間性の複雑さを認識しており、登場人物たちを、根は善良でありながらも、思わず悪いことをしてしまったり、欠点や葛藤を持つものとして、リアリティのある性格描写で魅力的に描いた。日常の中の悲劇的かつ喜劇的な状況、大事件ではないが、困難や窮地と、それに前向きに対処する(父不在の)一家の姿を描いた。年相応であり、詳細に描き分けられた姉妹は読者の共感を呼んだ。 当時のアメリカでは、福音主義運動の一環として、『アンクル・トムの小屋』の作者ハリエット・ビーチャー・ストウや『広い、広い世界(英語版)』のスーザン・ウォーナー(英語版)により、子供に宗教や道徳を教える日曜学校派物語(Sunday School fiction)と呼ばれるフィクションが書かれ、広く普及していた。一般の出版社による児童文学も、日曜学校派物語より内容は豊かであるとはいえ、基本的な姿勢は変わらず、道徳や教訓が重要な要素であった。また、南北戦争中から後にかけて、アメリカの児童向け出版社はおおむね、ボストンまたはニューヨークのアメリカのジェントリー(英語版)層による集団であり、伝統的なジェントリー的価値観も重んじられていた。産業革命以降、旧来のジェントリー層は没落しつつあり、アメリカ社会の価値観の多様化が進んでおり、ジェントリー層の出版人・児童向け作家たちは、アメリカ家国以来の社会秩序の根本になってきた、誠実、名誉、意思堅固、節制、慎み、正義といった、伝統的社会の基盤となるジェントリー層の伝統的価値観を次世代に教え、高潔な人格を育むことを大きな使命と考えていたのである。彼らの多くは牧師や人道主義的社会改革者で、オルコットもこの集団の一員であり、使命観を共有していた。 オルコットは多くの短編の教訓物語で、「勤勉と愛が希望をもたらす」というパターンを繰り返している。長編の『若草物語』では、このパターンが広く拡大されて変奏され、豊かで複雑な物語となっているが、物語が安定した教訓的な形式からはみ出ることはない。オルコットの家庭小説では、物質的貧しさの中でこそ心の豊かさが育まれ、物質的豊かさが幸せを妨げるという、物質主義批判の価値観による設定で、健全性と明るさのトーンが基調にある。また、当時家庭婦人向けの「子育ての手引書」が大流行しており、ルイザの叔父にあたる医師のウィリアム・A・オルコット(英語版)はこうした育児書の人気ある著者であり、オルコット家は育児書の著者である育児の専門家たちと交流があった。オルコットはこうした大人向けの育児書を念頭において子供向けの訓話物語を書いていたことが知られており、教師の経験もあったことから、「教師」としての姿勢をもって子供向けの本を書いた。自分の作品を、「若い人のための道徳のお粥」と形容した。 オルコットは、父ブロンソンの教えである自己否定の道徳の重要性を小説に書いた。それは、当時の女性に求められた規範と同様のものであった。オルコットはブロンソンの薫陶を受けて育ち、父の意に適う娘、エマーソンやソローの教えを受けた、従順で道徳的な娘であり、そうあろうとし、そうした女性でありたかった。『若草物語』のジョーのように、反抗しながら、なかなか自己否定の道徳を内面化できない心の過程が面白い作品を生んだが、最後にはヒロインは従順であり、道徳の内面化を踏み越え、道徳の束縛を破って自己解放に向かうといった発想はなく、あくまで道徳の獲得への努力について書いた。最終的には社会規範に従うとはいえ、ジョーの言動には、生き生きとしたリアリティがあり、物語は道徳的・教訓的な建前と作者の本音が交錯し、教訓性とリアリズム、古い価値観と新しい価値観がせめぎ合っており、このバランスの危うさの中に、作者が垣間見えるとも言える。建前とその裏が醸し出すジレンマや動揺、自己矛盾のダイナミズムが作品の面白さとなっており、サイトウ エツコは、オルコットは「自分の深層に潜んでいた揺らぎを、すべてそこ(家庭小説)に注ぎ込むことになった」「彼女の残した不思議な二重構造を持つ痛々しいまでにトランセンデンタル(超越主義的)なLittle Womanは、規範的レベルと深層心理的なレベルのメッセージの食い違いを内緒にしながら、『女の子の物語』として不朽の名作となり、世界中で読み継がれることになった」と述べている。 当時の大衆小説は、重苦しいお説教がなされることが常であったが、『若草物語』のそれは簡潔で、ストーリーに沿った自然なもので、当時の読者にとっては押しつけがましくなかった。『若草物語』は、ユーモアの豊かさや独創性、リアリティのある表現で、「アメリカ児童文学の転換期を記す作品」であるといえる。オルコットは、自分自身の人生を下敷きに、健全でありながらも現実味があり、当時の読者が共感しやすい家庭像を描いたが、かなり先駆的な試みであった。ただし、少女向け小説におけるリアリティのある描写は、先行する『広い、広い世界』にも見られ、ほぼ同時期のアデライン・ダットン・トレイン・ホイットニー(英語版)によるニューイングランドを舞台にした少女向けの物語群や、エリザベス・スチュアート・フェルプス(英語版)の「トロッティ物語シリーズ」にも、詳細な家庭生活の描写やユーモアがあるため、当時の、女性向け小説のヒロインの型や表現の変化の潮流の中で生まれた作品であると言える。池本佐恵子は、「オルコットの『若草物語』は、同時代の家庭小説とは作品の持ち味や完成度は異なっていても、五〇年代からの伝統を汲んだリアリズムやユーモアのある家庭小説、という当時の一つの文学的潮流の中から生み出されているのである。ひとことで『若草物語』を形容するなら、この物語は、十九世紀に人気があったセンチメンタルな婦人向け家庭小説をより易しくし、これにさらに、ロマン主義的な児童文学の要素を加えて、より低年齢層に向けたもの、と言えるだろう」と評している。 オルコットは「短い単語で済むときには決して長い単語でを使ってはならない」と考えており、平明で分かりやすい文体を用いた。『若草物語』第1部・第2部には、反道徳的ではない程度に俗語や罵り言葉も取り入れて、リアルな会話体により、日常感が醸し出されている。 『若草物語』第1部・第2部について、ジェイン・S・ギャビンは、「この作品は、これから適齢期に向かう少女たちが自己の欠点や悩みをいかに克服するかがそこに具体的に示されているという意味で、19世紀の若い読者にとっては社交場のたしなみの手引書だった」と述べている。人気を受けてシリーズの続編が書かれ、健全な家庭小説の需要に応え続け、子供向け雑誌「セント・ニコラス・マガジン(英語版)」でも執筆した。これらの家庭小説には多かれ少なかれ自伝的な要素があり、登場する若者たちの性格描写にも優れており、『若草物語』第1部・第2部の作風を引き継ぐものであったが、オルコットの家庭小説で、同等のレベルに達する作品は出なかった。 『昔気質の一少女』では、上昇志向を持つ家庭の愚かさを、別の健全な家庭と対比させ、反家庭小説ともいえる物語を描いた。『ジャックとジル』では、一つの家族ではなく、ニューイングランドの一つの村全体における家庭生活が描かれた。 オルコットは、様々な文学的テーマ・技法に惹かれ、実際は複雑な作家であったにもかかわらず、家族の生活を支えるために家庭小説を書き続けたと考えられており、マデレイン・B・スターンは、「彼女は自分自身の成功の犠牲者となった。そのような選択の当然の結果として、『子供の友』としての名声、また、ただ一つの名作の著者としての名声しか得られなかったのである」と述べている。一方アメリカ文学者の平石貴樹は、道徳はオルコットにとって個人的に切実なテーマでもあり、そのため彼女は、道徳というテーマでならいくらでも書ける作家であったと、家庭小説を書き続けた内的要因を指摘している。
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