富士GC用としての開発
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「マツダ・13B型エンジン」の記事における「富士GC用としての開発」の解説
富士GCのメインである2座席スポーツカーレースは、1973年からエンジン規定が排気量2,000ccに変更になった。ただしREに関しては、レシプロ換算で2,500ccまでのエンジンでの参戦が認められた(国際自動車連盟でのREの換算係数は2.0)。この条件下では、12A(573ccX2)での参戦が可能であった。 排気量2,000cc規定では、BMWのM12/6が275PS/9,000rpmで圧倒的に強く主流を占めていた。一方 12Aは250PS/9,500rpmで2〜3台程度の参戦で、戦闘力が低く、ベストで5位という成績であった。12Aでの参戦チームからは、パワーアップの要請が寄せられていた。 マツダとしては、パワーアップの方法として13Bの使用を考えた。サイドポート・ウエットサンプで13Bは、280PS/9,200rpmの出力を引き出すことに成功しBMWに対して同等の出力を得ることができた。そこでマツダは、富士GCでの13B使用を要請した。 ・1976年REの富士GCでの参戦規定が「レシプロ換算で3,000ccまで」に変更になり、13Bの使用が可能となった。富士GCでの第1戦からマツダオート東京がペリフェラルポート/片山マツダがサイドポートで参戦を開始する。 第2戦以降は、全車ペリフェラルポートになる。また鈴鹿でも2座席スポーツカーレース(ジュエルシリーズ)が3戦開催される。両シリーズを通じての13Bのベストポジションは、8位であった。 シーズンオフにマツダは、レーシング13Bの開発を更に加速させて1977年のシリーズに備えた。開発に際しては、既販の12Aのスポーツキットや市販車のパーツを大幅に流用している。 *ロータハウジングプリフェラリポート化のため市販車のダイカスト製ではなく砂型鋳造で新規作成した。トロコイド面には、直接硬質クロムメッキを実施した。 *サイドハウジング量産品を流用するが、サイドポート部をエポキシ樹脂の充填材で埋め、ブローバイガスの回収のため僅かな窪みを残している。 *ロータロータは、圧縮比9.4で市販車と同一の燃焼室形状を採用。ロータ固定ギアのスプリングピンの本数を市販車の9本から12本へ増加させ固有振動数をあげ、通常使用領域での共有振動領域に入ることを防止して、ギアの破損を回避している。 *出力軸量産品をベースに、シャフト撓みによるメタルクラランスの減少を避けるため、リア側ジャーナル部の直径を部分的に小さくしている。 *点火系点火プラグを沿面放電タイプに変更して、キャパシター・ディスチャージド・イグニッション(CDI)による同時点火方式を採用。進角装置は、エンジンの使用域が市販車より狭いので廃止した。 *アペックスシール市販車と異なり カーボン製の一体型の厚さ3mmを使用した。 ・1977年シーズンオフの間にマツダは、下記の開発を行なった。 (1) ドライサンプ化2座席スポーツカーは、リアサスペンションマウントをギアボックスに設置している。ギアボックスの高さが変わると設計通りのサスペンション・ジオメトリの確保ができなくなる。 ロータリーエンジンは出力軸の位置がエンジンの中央部にあり、直列4気筒レシプロエンジン(BMW)より高い場所に位置するため、ロータリーエンジンをそのままレシプロエンジン用のギヤボックスに接続すると、ギアボックスの位置が高くなり、設計通りのサスペンションジオメトリの確保が難しくなる。 12Aまでのレーシングロータリーエンジンは、ツーリングカー用をベースにしているので、エンジンの下にツーリングカー用の大きなオイルパンを持ったウエットサンプを採用しているので、出力軸の高さが更に高くなっている。そのためギアボックスを天地逆さにして搭載したが、それでも出力シャフトに下降角がつき出力軸の効率が低下していた。このウエットサンプをドライサンプに変更することによって、エンジンの搭載位置を低下させることが可能になり、出力軸の位置をBMW並の高さに合わせることが可能となった。 具体的には、オイルパンの代わりに、エンジン下面にアルミの一枚板の蓋をして、エンジンルーム内に大型オイルタンク設置した。これによりシステムとしてのエンジンの高さが減少し、出力軸位置を低下させレシプロエンジンと同じ位置に設けることができた。その結果 ギアボックスが設計通りの高さに設置することが可能となり、マシン性能を設計通り引き出すことが可能となった。 ドライサンプシステムにより、重心位置の低下とエンジン剛性の向上という効果も生み出した。 (2) キャブレタのフロート室の改造当時のレーシングロータリーエンジンは、ダウンドラフトのウェーバー・キャブレター(WBC)を採用して、1ロータに付き1バレルを与えている。ロータリーエンジンは、吸気管の直下に排気管があるのでダウンドラフトにしたほうが吸気の温度が下がる。またダウンドラフトは、吸気菅長を長く取れるのでトルク特性を向上させやすくなる。 2バレルのダウンドラフト・WBCは、左右方向のフロート室の容積が異なっている。そのため、コーナリングにかかるGの影響によりフロートが偏り、コーナ立上り時にフロート室への燃料がうまく供給されずに燃料切れが時々発生していた。 この影響をなくすために、フロート室容量を拡大と同時に左右のフロート室容積を同一にするように改造した。 (3) ベルハウジングの延長エンジンとギアボックスのクラッチ部の間に入れるスペーサをベルハウジングと呼ぶ。ロータリーエンジンの場合、ロータの回転が直接出力軸を回す。ロータ自体の重量が重いためロータの回転に伴うジャイロモーメントにより、右コーナではオーバステア/左コーナではアンダーステアという特性が出てしまう。またREは、BMWと比較すると全長が短いのでエンジンは、マシン中心から離れてリヤ側に搭載されるので、よりジャイロモーメントの影響が強くでていた。 このジャイロモーメントの影響を少なくするためには、マシンの重心近くにエンジンを搭載するために延長型のベルハウジングを開発して、エンジンとリヤ軸との距離を離した。 1977年のシーズンオフ中の開発により、13Bの出力は、290PS/9,000rpmになった。 このシーズンの13Bは、全てマツダワークスの3人(片山/従野/寺田)に限定供給された。 5月の富士1000kmでの総合優勝が、13Bレーシングとしての初優勝となる。9月の富士GC第3戦では、更にパワーアップしたエンジン(300PS)を発揮し念願の初優勝を飾った。 ・1978年マツダは、1977年のレーシング13Bをスポーツキットとして約300万円でプライベートユーザに供給を開始した。富士GC第1戦では、4台だったが最終的には、9台まで増加した。 ・1979年キャブレターの欠点であるハイGコーナでのガス欠によるパワーダウンと低速コーナでの立上り加速レスポンスの改善のためメカニカル・インジェクション(機械式燃料噴射装置)をレーシング13Bに搭載した。マツダ本社はルーカス/マツダオート東京はボッシュを搭載して、1ロータ当たり2本のインジェクタを設置し出力は311PS/10,000rpmへ向上した。特に 富士GC最終戦では、最後尾からゴボウ抜きを行い優勝した。 ・1980年1979年のレーシング13Bのパフォーマンスに対して、BMWのユーザからクレームが付き、レーシング13Bに対して規制が入る。規制内容は、「インジェクションの禁止」「消音マフラの装着」「車両重量の50kg増大」である。 この規制に対してマツダは、本社主導で下記の対応を行なった。 (1) インジェクションの禁止ダウンドラフトのWBCに戻すと、特にハイGコーナでのガス欠が問題となる。そこでWBCを2個をレーシング13Bに使用することにした。具体的には、1ロータに対してWBCを1個使用する。すなわち WBCの2バレルのうち1バレルのみ使用して、フロート室からの燃料供給を1バレルのみとして燃料流量を確保すると同時にロータハウジングの上に並べる形(進行方向に対して直角)で配置した。 (2) 消音マフラの設置レーシングエンジンの排気音に対しても社会的な要請で静かさが求められるようになった。 REは、排気ポートにバルブがないので高温高圧の排気ガスが排気管を通じて外部へ流れる。そのため 排気部にバルブを持つレシプロエンジンより排気音が大きくなる。マツダとしては、2座席スポーツカーのみではなくRX7のレーシング仕様でも使用可能なようにマフラとして、なるたけパワーダウンを最小限に抑える形で設計した。 (3) フロントハウジングの変更ドライサンプ用のオイルポンプを外部型からエンジン先端部内蔵型に変更して、エンジン全幅を減少させた。 マツダ本社としては、上記3点の対応を行い、マツダ本社としての富士GC用エンジンの開発を打ち切った。これ以降の富士GC用レーシング13Bの開発は、マツダスポーツコーナ(マツダオート東京(マツダスピード)、片山マツダ、静岡マツダ、マツダオート山梨)に委ねられる用になり、マツダ本社は、グループC用の13B開発とスポーツキット製造に特化する。 ・1981年以降1981年から富士GCは、2座席スポーツカーからカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)のような単座席スポーツカーが主流となるレースへ変貌を遂げていく。その過程において、フォーミュラ2(F2)で使用したシャーシに単座席専用カウルを被せて、富士GCに参戦するというスタイルが1982年以降主流となる。 F2の場合 BMWが主力エンジンであるが、ホンダV6エンジンとの競争の結果出力が1980年代は、1970年代後半と比較するとより大幅にアップしてくる。そのため レーシング13Bにおけるインジェクション禁止と50kgのウエイトハンディは、1982年頃に廃止される。しかしながら、F2シャーシにレーシング13Bを搭載する場合「マフラの設置場所確保」「エンジンマウント」「ラジエタの設置場所確保」の課題が徐々にクローズアップされてきた。 2座席スポーツカー時代は、マシン後部は、鋼管スペースフレームで組まれていた。1980年代になってF2のシャーシがアルミモノコックからハニカムモノコックさらにはC-FRPへ進化していく。またグラウンド・エフェクト・カー(ウイングカー)としての効率アップのためエンジンとギアボックスの後端を上方に置き、メインモノコックやサイドウイングからの空気の引き抜きを強化する手法が取られた。この進化に合わせてリアセクション構造も鋼管スペースフレームからエンジンのダイレクトマウント化の動きが徐々に進行していった(F2時代には、完全なエンジンのダイレクトマウントはされなかった)。 BMWは、この動きに対してマシン設計時点から設計者がエンジン搭載法を考慮しているが、ロータリーエンジン搭載マシンのチームは、参戦チーム毎に対応をとる必要があった。 ラジエタに関しては、単座席スポーツカーは、当初フロントラジエタのカウルを使用していた。その後サイドラジエタとウイングカーに進化していく。1984年にウイングカーが禁止となり、サイドラジエタを採用した空洞サイドポンツーンの単座席がメインとなった。このため 以前のマシンよりラジエタ容量が増加させにくい構成になった。 レーシング13Bの放熱要求量は、3,000ccのレシプロエンジンに近いものになる。更にロータもオイルで冷却しているので、オイルクーラはBMWの倍以上の容量が必要となる。このためマシンには、BMWより大容量のラジエタが必要となるが、この要求を満たすと重量増と空力性能の悪化を引き起こす。 以上の要因のため、1983年9月の第3戦での優勝を最後にそれ以降の富士GCでは勝てなくなった。
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