富士1000㎞とは? わかりやすく解説

富士1000km

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 13:57 UTC 版)

富士1000km(ふじせんキロ)は、かつて富士スピードウェイで開催されていた耐久レース

概要

1967年にTMSC(トヨタモータースポーツクラブ)の主催でスタートし、1977年に富士ロングディスタンスシリーズ開始と同時に、FISCOクラブの主催となった。1985年に全日本耐久選手権の一戦となり国際格式レースとなると同時に再びTMSC主催(VICICと共催)となった。

オイルショックなどを理由に耐久レースの開催が中止された時期も、富士1000kmは開催され続けたが、1993年に全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)の崩壊、および景気後退で中止。以降は開催されなくなった。

1999年に富士スピードウェイ35周年企画として、ル・マン24時間レース規定による「ル・マン富士1000km英語版」として復活した。また2007年に、全日本スポーツカー耐久選手権の1戦として組み込まれ、8年ぶりに復活した。

なお1982年から1988年は「WEC-JAPAN」というWSPCの一戦、1989年から1991年は「インターチャレンジ富士1000km」というJSPCの一戦が追加で開催されていた。1992年もMSCC(マツダスポーツカークラブ)主催でJSPCとして年2回、富士の1000kmレースは開催されていた。

歴代優勝車/ドライバー

WEC-JAPAN 富士1000km

WEC-JAPAN勝者

インターチャレンジ富士1000km

  • 1989年 トヨタ・89C-V(小河等/パオロ・バリッラ)
  • 1990年 悪天候のため中止
  • 1991年 日産・R91CP(星野一義/鈴木利男)

富士1000㎞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:25 UTC 版)

MANA09」の記事における「富士1000㎞」の解説

(7/28) プライベート杉山が、浅田 卓秀と組んで参戦予選晴れていたが、決勝雨天となり、二座席レーシングカーにとっては、厳しレースとなった。(優勝は、RクラスセリカLBターボ予選: PP 高原/浅岡ローラ・T280/DFV)1:46.311:52.62 でRクラスの6位 決勝:6周でリタイヤ

※この「富士1000㎞」の解説は、「MANA09」の解説の一部です。
「富士1000㎞」を含む「MANA09」の記事については、「MANA09」の概要を参照ください。

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