富士F1初開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「富士F1初開催」の解説
1974年よりマキがF1に挑戦したが、脆弱な体制のため決勝レース出場は叶わなかった。ドライバーでは生沢徹、風戸裕、桑島正美がヨーロッパのF2で実力を示したが、F1へのステップアップを果たせなかった。日本人初のF1ドライバーは1974年の非選手権レースにスポット参戦した高原敬武。鮒子田寛は1975年の選手権にマキでスポット参戦したが予選不通過に終わった。 1976年にはF1が日本で初開催され、富士スピードウェイで「F1世界選手権イン・ジャパン」が行われた。マキ、コジマら日本勢とブリヂストンタイヤが地元のみスポット参戦。高原のほか星野一義、長谷見昌弘ら国内トップドライバーも挑戦した。 熱烈なスーパーカーブームの影響でF1への関心度も増し、F1を題材とした漫画・アニメーション・プラモデルなどが子供達の人気を得た。1977年は正式に「日本グランプリ」の名で開催され、コジマ、ブリヂストンタイヤ、高原、星野、高橋国光が参戦したが、決勝中に観客11名をまきこむ死傷事故が発生。F1開催は2年のみで終わり、再び空白期に入った。
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