F1開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:34 UTC 版)
サーキットのオープン直後にバブル景気の崩壊に見舞われたものの、田中が建設当初から計画した通りに、1994年と1995年に、F1「パシフィックグランプリ」が開催された。 1994年のレースには片山右京や鈴木亜久里などの日本人ドライバーが参戦した。また、アイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーが次戦の1994年サンマリノGPで事故死したため、セナとラッツェンバーガーにとっては日本での最後のレースとなった。 周囲の交通アクセスの問題は、シャトルバスを大量動員することで解決された。当時はまだ周辺道路が狭く、F1開催に合わせて岡山県の協力による道路拡張が行われたが、1994年の開催には完全には間に合わなかった。サーキットの宿泊施設は収容人数が少なく、大部分の関係者は湯郷温泉にある和風の旅館に宿泊した。 1995年のレースは、4月に開催(第2戦)される予定であったが、1月に発生した阪神・淡路大震災の影響から開催が危ぶまれた。しかし、10月に延期され、鈴鹿で行われる日本グランプリの前の週に第15戦として開催された。これが当サーキットでの最後のF1開催となった。
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