F1自チームの設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:16 UTC 版)
「アルトゥーロ・メルツァリオ」の記事における「F1自チームの設立」の解説
1977年には自らがオーナーとなり、自チーム「チーム・メルツァリオ」を設立。初年度はマーチのシャーシを購入しての参戦だったが、完走は出走した7戦中1戦のみに終わる。また第12戦オーストリアグランプリのみ、自チームからではなくシャドウから出走している(決勝リタイア)。 チーム2年目となった1978年は、マーチのシャーシを改造し独自のマシンである「メルツァリオA1」を制作。コンストラクターとして参戦したものの、16戦中完走ゼロ,予選落ち6回,予備予選落ち2回という散々な成績に終わる。またイタリアグランプリのみではあるが、アルベルト・コロンボを2台目として出走させている(メルツァリオ:決勝リタイア/コロンボ:予備予選落ち)。 1979年は、序盤4戦は前作の改良版「メルツァリオA1B」で参戦するも完走ゼロ(うち2回予選落ち)、その後新車「メルツァリオA2」を投入。またシーズン途中で撤退したカウーゼンからマシンパーツを買い取って「メルツァリオA4」も制作したが、A2を投入した第5戦以降全戦で予選落ちを喫してしまい、メルツァリオはチームとともにこの年をもってF1から退いた。なおこの年のモナコグランプリのみメルツァリオの代役として、カウーゼンのドライバーだったジャンフランコ・ブランカテリが出走した(予備予選落ち)。
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