F1誕生とは? わかりやすく解説

F1誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)

F1世界選手権の歴史」の記事における「F1誕生」の解説

1906年フランスで初の四輪グランプリである「ACFグランプリ」が開催された。その後徐々に車輌重量エンジン排気量規格(GPフォーミュラ)が整理され1920年代にはヨーロッパ各地でもグランプリが行われるようになった1930年代にはグランプリレースから成るヨーロッパ・ドライバーズ選手権発足しナチス・ドイツ威信を担うメルセデス・ベンツアウトウニオン大活躍したが、第二次世界大戦によりグランプリ中断余儀なくされた。 終戦後1946年国際自動車連盟(FIA)の国際スポーツ委員会(CSI)は戦前のグランプリカーとヴォアチュレットをもとに新たな規格制定しエンジン排気量が「自然吸気式4,500cc、過給式1,500cc」の車両単座レーシングカー最上位クラス位置づけた。当初フォーミュラAと呼ばれたが、後にフォーミュラNo.1または国際フォーミュラNo.1と正式呼称されフォーミュラ1(F1)が定着した1947年新規定下でグランプリ再開されるイタリアアルファロメオ無敵誇り次いで新興スクーデリア・フェラーリ台頭したフェラーリ戦前にアルファ・ロメオチームの監督だったエンツォ・フェラーリ創設したチームであり、いわば親子関係対決であった1949年には世界各国グランプリからプライオリティの高い数戦を選手権対象レース指定し個別レース成績に応じて与えられる点数年間合計により年度の優勝者決め世界選手権構想固まり、翌1950年からの開催決まった当初選手権タイトルドライバーのみであったが、1958年から製造者タイトル設定された(当時グランプリレース世界選手権がドライバータイトル、1953年から始まった耐久レーススポーツカー世界選手権製造者タイトル棲み分けされていた)。 なお、この世界選手権を「F1グランプリ」と呼ぶ例も多いが、歴史上「F1(レースカテゴリ)」と「グランプリ(各国最高峰のモータースポーツイベント)」と「世界選手権」は必ずしも同義ではなかった。日本グランプリマカオグランプリなどF1以外行われたグランプリもあり、イギリスのブランズハッチサーキットで開催されレース・オブ・チャンピオンズ(1967年 - 1983年)のような非選手F1レース盛んに行われていた(イギリス南アフリカではF1の国内選手権開催された)。F1レースが「年間17戦前後のグランプリからなる世界選手権」という方式定着するのは非選手F1レース廃止され1984年以降のことである。

※この「F1誕生」の解説は、「F1世界選手権の歴史」の解説の一部です。
「F1誕生」を含む「F1世界選手権の歴史」の記事については、「F1世界選手権の歴史」の概要を参照ください。

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