セナの死と世代交代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 02:10 UTC 版)
「F1世界選手権の歴史」の記事における「セナの死と世代交代」の解説
費用と安全面の懸念から、1994年には電子制御技術が大幅に規制された。しかし、セナの事故死など死傷事故が相次いだことから、さらなるスピード抑制対策が重ねられることになった。1995年にはエンジン排気量が「自然吸気式3,000cc」に縮小され、1998年からスリックタイヤに代わり溝付きのグルーブドタイヤが導入された。同年には35年間にわたり通算368勝の大記録を残したグッドイヤータイヤが撤退した。 決勝中の燃料再給油が解禁されると、燃料搭載量やピットストップのタイミングなどのチーム戦略が勝負の要諦となり、これを完遂するベネトンのミハエル・シューマッハが時代の寵児となった。フランスやイタリアのドライバーは減少傾向となり、代わってシューマッハらドイツ勢が台頭した。 1996年、1997年の王者となったデイモン・ヒル、ジャック・ヴィルヌーヴは往年の名手、グラハム・ヒル、ジル・ヴィルヌーヴの息子であり、二世ドライバーの活躍はF1誕生から半世紀の歴史を象徴するものとなった。 ホンダ撤退後に低迷したマクラーレンはメルセデス・ベンツエンジンとブリヂストンタイヤとのジョイントで復活を果たす。ミカ・ハッキネンはF3以来のライバル、シューマッハとの対決を制して1998年、1999年のドライバーズチャンピオンに輝いた。 表 話 編 歴 « 前 ― F1世界選手権レース (1990-1999) ― 後 » 1990 USA BRA SMR MON CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN AUS 1991 USA BRA SMR MON CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN AUS 1992 RSA MEX BRA ESP SMR MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN AUS 1993 RSA BRA EUR SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN AUS 1994 BRA PAC SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR JPN AUS 1995 BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR PAC JPN AUS 1996 AUS BRA ARG EUR SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN 1997 AUS BRA ARG SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA AUT LUX JPN EUR 1998 AUS BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR AUT GER HUN BEL ITA LUX JPN 1999 AUS BRA SMR MON ESP CAN FRA GBR AUT GER HUN BEL ITA EUR MAL JPN
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