桑島正美(日本)
1969年にツーリングカーでレースデビュー。70~71年にはフェアレディZで活躍し注目を集める。70年の年末にブラジルで開催されたコッパ・ブラジル・インターナショナルレースに遠征し、フェアレディZで7位。72年には渡英してGRDを駆りF3に参戦、シルバーストンで初優勝。73年にはマーチに乗り換えてヨーロッパ各国のF3に参戦し、幾度となく入賞。ジョンプレイヤーF3シリーズでランキング6位。74年はヨーロッパF2にステップアップ。上位争いの常連となるが不運も相次ぎ、ベストリザルトは4位。同年のJAF鈴鹿GP(F2)で2位入賞。翌75年のシーズン半ばにヨーロッパでの活動から撤退。76年の日本GPにエントリーしたがスポンサーの撤退で出走できなかった。以後は日本国内で全日本F2、富士GCをメインに活動した。
桑島正美
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桑島 正美(くわしま まさみ[1]、1950年9月14日 - )は、日本の元カーレーサー。埼玉県出身。1970年代に国内外のレースで活躍し、「黒い稲妻」の異名をもつ。
- ^ JAF 国内競技検索 ドライバー詳細(カテゴリ別) - 2011年10月13日閲覧
- ^ 原富治雄 ヘルメットに描いた挑戦の証 STINGER blog(2012年8月11日)2012年12月5日閲覧。
- ^ 爆発! 暴走遊戯(Movie Walker)
- ^ F3時代の1973年にもウィリアムズからテスト参加を誘われたが、この時は当時のウィリアムズの窮状を知る知人からの助言で断った。
- ^ F1では決勝出走しなければ公式戦デビュー扱いとならない。
- ^ a b 井出耕也 『むかし、狼が走った サーキットの青春群像60's〜70's』、双葉社、2000年、230-231頁。
- ^ a b 「ノスタルジックピープル第7回 桑島正美 PART2」『ノスタルジックヒーロー 2002年4月号』 芸文社、2002年、108頁。
- ^ 第47回SHCC大磯ミーティング 3rd JUN.2012 - CLASSIC TEAM LOTUS(2012年7月2日閲覧)
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