土芥寇讎記とは? わかりやすく解説

土芥寇讎記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 08:24 UTC 版)

土芥寇讎記』(どかい こうしゅうき)は、江戸時代中期の元禄時代に書かれたと考えられている、各藩の藩主や政治状況を解説した本。当時の政治状況や各藩に対する認識を示した珍しい史料として注目される一方、編著者名や製作された目的もいまだ不明で、「謎の史料」とも言われる。


注釈

  1. ^ 仙台藩鹿児島藩より先に記述される、彦根藩が両池田氏岡山藩鳥取藩)より先に記述される、等。但し、仙台藩が薩摩藩の先に記述される方式は江戸時代初期の武鑑にも見られる。
  2. ^ 伊達綱村に対しては「才知利発也、文武両道共に心掛あり」、島津綱貴には「文武両道を心掛(中略)家民に至るまで哀憐をたれ」など。
  3. ^ 各藩の「居城」の記事の書き方が甲賀者末裔を称する家に伝わった『筑前筑後肥前肥後探索書』(寛永3年2月~3月)『讃岐伊予土佐阿波探索書』(寛永3年8月10月)と酷似していることが指摘されている[1]
  4. ^ 辛辣な評価には綱吉に当てはまりそうなものも多く、綱吉への諫言を目的に書かれたのではないか、といった逆の意見もある。一方、男色に寛容であったり、綱吉の政敵とも言える故・酒井忠清への評価が辛辣である、など綱吉の意向に反しない部分もある。
  5. ^ 「光」と記される
  6. ^ 諱未詳、稲垣重祥の子、稲垣重種の孫。
  7. ^ 実名が書かれていることは非常に少ない
  8. ^ その氏族自体の出身地、井伊氏なら「遠江国」となる。
  9. ^ ここで指す文学とは儒教のことであり、和歌絵画の才能は除外された。
  10. ^ 男色がまだ盛んな時代であり、美少年を小姓として大勢抱えている大名は激しく糾弾された。大勢の女性を側室として抱えていた大名も同様に糾弾された。

出典

  1. ^ 『江戸史料叢書』「土芥寇讎記」解説より。


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