小出英利とは? わかりやすく解説

小出英利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 10:10 UTC 版)

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小出 英利
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 万治2年10月14日1659年11月28日
死没 正徳3年2月17日1713年3月13日
改名 吉尚(初名)→英利
戒名 瑞峯義光霊応院
官位 従五位下、伊勢
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
丹波園部藩主
氏族 小出氏
父母 父:小出英知
兄弟 英利、英陳、板倉重高[1]、娘(戸田氏利正室)
正室:井上正利の娘
英貞(次男)、英雄(三男)、英治(四男)、娘(片桐貞経正室)
特記
事項
賞延武鑑(正徳三年)、一統武鑑(宝永七年)、御林武鑑(宝永二年)には板倉重高は小出伊勢守英利二男と記載がある。また本朝武系當鑑(元禄八年、四年)、本朝武鑑(元禄元年)によれば、板倉重高は小出伊勢守の子とあり、小出家の方には英利の初名で小出伊勢守吉尚という記載もあるので重高は英利の兄弟ではなく、子ではあるまいか
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小出 英利(こいで ふさとし)は、丹波園部藩の第3代藩主。吉親系小出家3代。

生涯

第2代藩主・小出英知の長男。正室は笠間藩主・井上正利の娘。初名は吉尚延宝元年(1673年)10月27日、父の隠居により跡を継ぐ。浅草門の普請役や丹後宮津藩主・永井尚長改易後の宮津城受け取り役を務めた。貞享元年(1684年)に英利と改名する。

宝永2年(1705年)4月22日、次男の英貞に家督を譲って隠居し、正徳3年(1713年)2月17日に55歳で死去した。

  1. ^ 賞延武鑑(正徳三年)、一統武鑑(宝永七年)、御林武鑑(宝永二年)には板倉重高は小出伊勢守英利二男と記載がある。また本朝武系當鑑(元禄八年、四年)、本朝武鑑(元禄元年)によれば、板倉重高は小出伊勢守の子とあり、小出家の方には小出伊勢守吉尚という記載もある




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