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小出英知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/20 10:21 UTC 版)

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小出 英知
時代 江戸時代前期
生誕 元和4年(1618年
死没 元禄8年1月13日1695年2月25日
改名 常慶(号)
別名 吉久
戒名 快山常慶青春院
墓所 京都府南丹市園部町の徳雲寺
官位 従五位下、信濃
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱
丹波園部藩主
氏族 小出氏
父母 父:小出吉親、母:本多正重の娘
兄弟 英知一柳直次、娘(青龍院、一柳直頼正室)、娘(杉原重長正室)、娘(加藤直泰正室)、娘(板倉重矩正室)、娘(半井成忠室)、娘(井上正義正室)、娘(井上正義継室)、娘(小出吉明室)、娘(小出重治室)、娘(金森某室)
正室:成瀬正虎の養女成瀬之成の娘)
側室:山崎氏
英利(長男)、英陳(次男)、板倉重高[1](三男)、娘(戸田氏利正室)
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小出 英知(こいで ふさとも)は、丹波園部藩の第2代藩主。吉親系小出家2代。

生涯

初代藩主・小出吉親の長男。母は本多正重の娘。

寛文7年(1667年)6月9日、父の隠居により跡を継ぐ。翌年に父が死去した後、父の隠居料だった5000石のうち、3000石を一族の小出吉直に、2000石を小出吉忠に分与した。延宝元年(1673年)10月27日、長男の英利に家督を譲って隠居し、常慶と号した。元禄8年(1695年)正月13日、78歳で死去した。

  1. ^ 賞延武鑑(正徳三年)、一統武鑑(宝永七年)、御林武鑑(宝永二年)には、板倉重高は小出伊勢守英利二男と記載がある。また本朝武系當鑑(元禄八年、四年)、本朝武鑑(元禄元年)によれば、板倉重高は小出伊勢守の子とあり、小出家の方には小出伊勢守吉尚(吉尚は、長男 英利の初名)という記載もあるので、重高は英知の子ではなく、孫にあたるのではあるまいか



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