池田政言とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 池田政言の意味・解説 

池田政言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 22:15 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
池田 政言
池田政言(岡山県立図書館蔵)
時代 江戸時代前期
生誕 正保2年7月10日1645年8月31日
死没 元禄13年8月19日1700年10月1日
改名 幼名:左門、初名:恒能
戒名 天珪院殿性月自光大居士
官位 従五位下信濃守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
備中鴨方藩
氏族 池田氏(利政流)
父母 父:池田光政、母:水野勝之進の娘
養父:池田政信
兄弟 奈阿、靖厳院綱政、富幾、左阿、政言六姫、七姫、輝録、房姫、小満
正室:番氏朋の娘
側室:浦上氏
政倚山内豊清正室、土倉一涂
テンプレートを表示

池田 政言(いけだ まさこと)は、江戸時代前期の大名備中鴨方藩の初代藩主

略歴

備前岡山藩主・池田光政の次男で庶子として誕生した。

慶安2年(1649年)、池田政信(岡山藩家老)の養嗣子となる。寛文12年(1672年)、父・光政の隠居と兄・綱政の藩主就任により、2万5,000石を分与されて支藩である鴨方藩を立藩した。藩政においては文武両道で和歌に優れ、道徳ある善政を敷いたと、父の光政と同じく名君として高く評価されている。

元禄13年(1700年)8月19日、56歳で死去した。跡は長男の政倚が継いだ。

土芥寇讎記』では個人も統治状況も高く評価され、特に同書で悪く言われている兄の綱政と比較された上で高評価されている。

系譜




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「池田政言」の関連用語

池田政言のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



池田政言のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの池田政言 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS