地方召上と地方直
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 12:15 UTC 版)
将軍や大名が家臣の知行を地方知行から蔵米知行に改めることを「地方召上(じかためしあげ)」と呼び、逆に蔵米知行から地方知行に改めることを「地方直(じかたなおし)」と呼んだ。伝統的に武士階層は土地(地方)をもって所領を与えられることを望んだことから、地方召上に懲罰的要素を含む場合や反対に地方直に恩賞的要素を含む場合もあった。 江戸時代初期には諸藩においては地方知行を行う例が多く蔵米知行は下級家臣に限られていたが、次第に大名の支配権力と財政基盤の強化のために上級家臣に対しても地方召上を行って蔵米知行に変更されることが多くなった。元禄時代に書かれたと考えられている諸藩諸侯の解説書『土芥寇讎記』によれば、当時243あった藩のうち地方知行が行われていたのは外様大名系の大藩を中心とした39藩に過ぎなかったという。ただし、前述のように地方召上には懲罰的な意味合いを持つ場合もあったために、移行の際の不手際がお家騒動に発展する可能性もあった。 これに対して比較的余裕があった幕府では、地方直を行って旗本の知行を蔵米知行から地方知行に改めることでこれまでの働きに対する恩賞とし、旗本たちの歓心を買うとともに将軍への忠誠を高めようとした。 徳川家康の関東移封後に伴う天正19年(1591年)の所領の再配分と関ヶ原の戦いと大坂の陣の両戦後に行った親藩・譜代大名および旗本に対する広範囲の加増・転封も地方直としての側面を持つが、幕府が地方直を目的として大規模に行ったものとしては、寛永10年(1633年)と元禄10年(1697年)に行った元禄地方直の2例がある。
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