初期の展開
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日比谷図書館では帝国図書館と異なり、一般市民の利便性が重視され、当時通俗教育と言った社会教育に資することを重視していた。 初代主事(館長)である渡辺又次郎は児童閲覧室運営の確立を図り、「児童の教育に読書が必ずしも有益でなく、むしろ害をもたらす」とする当時の考え方に反論し、自由な読書の効用を説いている。 後任の守屋恒三郎の下でもその運営の方針は継承され発展をみており、また市内の簡易図書館に対する参考図書館としての機能の充実を図った。当初東京市では市内15区各区に日比谷図書館に準ずる規模の図書館を整備することを計画しており、この構想に基づいて1909年(明治42年)には深川区に市立深川図書館が開館している。 しかし、財政上の困難から方針を変更し、小学校に併設する形の簡易図書館を整備して一区一館の構想の推進を図ることとなり、1913年(大正2年)には19館(帝国教育会より移譲を受けた神田第一図書館→一橋図書館を含む)の体制が確立する。 1914年(大正3年)今沢慈海が新たに日比谷図書館館頭に就任すると、市立図書館の運営の一体化に向けた改革が進められ、日比谷図書館が管理業務も担い19館が一体的に運営される体制となったほか、日比谷図書館の児童閲覧の無料化、深川図書館の閲覧料無料化が実現した。 あらためて市の図書館の中心的な存在として位置づけられた日比谷図書館では参考図書館としての機能の充実が図られ、レファレンスワークの取り組みが始められており、大正天皇即位を記念し市に下賜された資金は教育基金に組み入れられ、その利子をもって特別図書購入費用とし蔵書の充実と郷土資料の購入に充てられ、日比谷図書館ではなお貸出は有料制であったが館外貸出制度の拡充も図られるなど、関東大震災以前の最盛期が到来したのである。
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初期の展開
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「帰ってきたウルトラマン」の記事における「初期の展開」の解説
『ウルトラマン』の主人公・ハヤタが人間的な隙のないヒーローとして描かれ、『ウルトラセブン』の主人公・モロボシ・ダンも私生活まで踏み込んだ演出は行われなかった。しかし、本作品の主人公・郷秀樹は、レーサー志望の平凡な一市民として設定され、私生活面では彼の家族的な立場である坂田兄弟がレギュラーとして登場する。また、主人公がウルトラマンとしての能力に慢心したり、超能力を持つゆえにMAT隊員と軋轢を生むなど、日常的な困難を乗り越えるための努力が強調された。変身後のウルトラマンもしばしば怪獣に対して苦戦したり敗北したりしている。こうした作劇が、後年の評論で「人間ウルトラマン」と呼ばれている。これについてメインライターの上原正三は、『ウルトラマン』と同じようなことをやろうとしても模倣にしかなりえないため、差別化として崇高さのある初代ウルトラマンに対し子供と同じ目線にし、『柔道一直線』のような未熟な若者が組織や戦いの中で鍛えられ成長していく様を描いたと述べている。 第1期ウルトラシリーズを放送していたタケダアワーがSF路線や怪奇路線から転換して『柔道一直線』となるなど、当時の子供たちの流行がスポ根ものに移行していったことから、本作品でもその要素が意識されている。 当初は前述のような郷の苦悩と成長などシリアスなドラマ性が強く打ち出された。その中で、 郷秀樹の挫折と再起を描いた第2話「タッコング大逆襲」 「スポ根もの」要素を取り入れた第4話「必殺! 流星キック」 二大怪獣とMATの激突を劇場怪獣映画並みのスケールで描いた第5話「二大怪獣 東京を襲撃」と第6話「決戦! 怪獣対MAT」 など新たなタイプの秀作が生まれ、新たな試みがなされた。しかし、人気番組『ウルトラマン』の後継作として本作品に期待される視聴率の水準は高いものがあり(TBS側では30%台を期待していた)、1クール目の視聴率はその期待に沿うものではなかった。その原因としては、シリアスなドラマが子供たちに充分受け入れられなかったこと、予算的な問題で舞台が山中や造成地になる場合が多く、都市破壊の爽快さを欠いたことなどが挙げられている。
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初期の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/30 03:03 UTC 版)
「グレイホーク自由都市」の記事における「初期の展開」の解説
1972年、デイヴ・アーンソンのブラックムーア城ゲームの実演を見学した後で、ゲームデザイナーとしてゲイリー・ガイギャックスは、後にダンジョンズ&ドラゴンズとして知られるようになるルールセットを、アーンソンと共同開発することに合意した。ガイギャックスはプレイヤー達が探検することのできる城とダンジョンというアイデアが気に入り、グレイホーク城と呼ばれる彼自身の架空の場を作り上げ、それをゲームのテストと開発に使用した。 ガイギャックスの最初のセッションからおよそ1ヶ月後、彼はプレイヤーのキャラクター達が財宝を売り払ったり休息場所を見つけることのできる場所であるグレイホーク市を近隣に作成した。ガイギャックスのプレイヤー達がより遠方を探索してゆくにつれ、グレイホークの周囲の土地は次第に完全な世界に成長していった。 1980年、ガイギャックスはザ・ワールド・オブ・グレイホーク と呼ばれる彼のホーム・キャンペーンの詳細をフォリオ(二つ折り版)で出版した。これがグレイホーク市に関して最初に出版された情報となった。
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初期の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 10:11 UTC 版)
1960年代末期、軍事史マニアかつパルプファンタジーファンのゲイリー・ガイギャックスは、ウィスコンシン州レイク・ジェニーバの彼のゲームクラブにおいて、従来の中世を模した卓上ミニチュア・ウォーゲームにファンタジーの要素を加え始めていた。彼は時々標準的な中世の兵器を魔法の呪文と入れ替え、あるいはドラゴンや他のファンタジー的なモンスターを兵士の代わりに使用した。1971年、彼は『チェインメイル』という名前の卓上戦闘のためのルール・セットの一部を共同執筆し、1対1の戦闘だけではなく、魔法の呪文とモンスターのための補足ルールを作成した。 ちょうど同時期に、ミネアポリス - セントポールでは、別の卓上ウォーゲーマー、デイヴ・アーンソンが、同じく新たな様式のゲームを創り出していた。アーンソンは、ウォーゲーマー仲間であるデイビッド・ウェスリー(英語版)が運営していた、中立な調停者あるいは審判を置き外交問題を解決するためにプレイヤー同士や想像上の人物と会話するような、現在ではロールプレイングと呼ばれる要素を含む、ナポレオニック卓上「ブラウンシュタイン」キャンペーンに感銘を受けた。しかしながら、アーンソンは間もなくナポレオニック設定に飽きてしまい、ゲームグループが集合したある晩、彼は通常の戦場の代わりにプラスチックモデルの城を置き、プレイヤー達に、今晩は各人が1個連隊ずつを指揮する代わりに1人ずつのキャラクターを担当して、ブラックムーアの男爵領にある城の危険なダンジョンを探索する、と告げた。戦闘解決のために、彼は最初じゃんけんを用いていたが、『チェインメイル』と、彼、ゲイリー・ガイギャックス、マイク・カーが共同執筆したドント・ギブ・アップ・ザ・シップ!(英語版)という名の船舶ウォーゲームを組み合わせた結合ルールに速やかに移行した。ウェスリーの卓上ウォーゲームよりアーンソンのゲームを際立たせたものは、プレイヤーがセッション間で同じキャラクターを保持することができ、時間と共により良い能力またはパワーを身に付けることによって成長する、ということであった。アーンソンの、ミネアポリス-セントポールにおけるナポレオニック・ゲームグループは、ガイギャックスのレイク・ジェニーバ・グループと接触し、アーンソンは彼らが週末にプレイしているブラックムーアのダンジョンについて言及した。ガイギャックスは興味を持ち、1972年にレイク・ジェニーバを訪問した時に、アーンソンはブラックムーアのダンジョンをガイギャックスに対し実演した。ガイギャックスは直ちにダンジョン環境を探索する個々のキャラクター達という構想に興味をそそられ、このゲームは商品とすることが可能であり売れる、と考えた。彼とアーンソンは『チェインメイル』を基にしたルール・セットを共同開発することに合意した。これらのルールを開発するためのプレイテスト環境を提供するために、ガイギャックスは彼自身の城であるグレイホーク城をデザインし、その下にあるダンジョンの一層目を準備した。彼の2人の子供達アーニーとエリスが最初のプレイヤーとなり、その最初のセッションの間、グレイホークのダンジョンで最初のモンスター達と戦い、滅ぼした(ガイギャックスは、それが巨大ムカデの集団か、サソリ達の巣のどちらかであったことを回顧した)。その同じセッションの間に、アーニーとエリスはまた、最初の財宝である、銅貨3,000枚の入った箱を発見したが、運ぶにはあまりにも重く、子供達を強く無念がらせた。子供達が就寝した後、ガイギャックスはすぐにダンジョンの2層目の作成に取り組みはじめた。次のプレイセッションでは、アーニーとエリスにガイギャックスの友人達であるドン・ケイ、ロブ・クンツ、テリー・クンツ(英語版)らが合流した。 彼の最初のセッションからおよそ1か月後、ガイギャックスはダンジョンの近傍に、プレイヤーキャラクターが財宝を売り払ったり、休息場所を見つけることのできる場となるグレイホーク市を作成した。
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