初期の履修期間
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「陸軍士官学校 (韓国)」の記事における「初期の履修期間」の解説
履修期間期別期間入校者教育内容備考第1期 1946年5月1日 - 1946年6月15日 曹長以上の軍歴を有する者 制式訓練、九九・三八式小銃訓練、分隊・小隊戦術 40名が任官。朝鮮戦争では中堅的な佐官将校として活躍した。7名が戦死。 第2期 1946年9月25日 - 1946年12月14日 曹長以上の軍歴を有する者 制式訓練、九九・三八式小銃訓練、分隊・小隊戦術、読図法 196名が任官。朝鮮戦争では少佐や中佐で大隊長や連隊及び師団参謀などで、戦争後半は大佐に進級して連隊長として活躍した。34名が戦死し、6名が行方不明となった。 第3期 1947年1月13日 - 1947年4月19日 推薦された下士官 制式訓練、九九・三八式小銃訓練、分隊・小隊戦術、読図法、卒業直前にM1小銃と重機関銃を紹介 296名が任官。朝鮮戦争勃発時、ほとんどが大尉や少佐で大隊長を務めており、休戦になる頃には大佐で連隊長級になっていた。 第4期 1947年5月6日 - 1947年9月10日 推薦された下士官 制式訓練、九九・三八式小銃訓練、分隊・小隊戦術、読図法 朝鮮戦争勃発時は中隊長であり、初期の後退で38名が戦死した。 第5期 1947年10月23日 - 1948年4月6日 民間から募集 制式訓練、小隊攻防訓練、読図法、M1小銃・重機関銃訓練 380名が任官。朝鮮戦争勃発時、ほとんどは大尉や少佐で大隊長、副大隊長、連隊参謀。97名が戦死もしくは行方不明となった。 第6期 1948年5月5日 - 1948年7月28日 推薦された下士官 制式訓練、小隊攻防訓練、読図法、M1小銃・重機関銃訓練 235名が任官。 第7期 1948年8月9日 - 1948年11月10日 民間から募集 制式訓練、小隊攻防訓練、読図法、M1小銃・重機関銃訓練 朝鮮戦争勃発時は中隊長や連隊参謀で、休戦時は大隊長や師団参謀であった。 第7期特別 1948年8月18日 - 1948年10月12日 軍事経歴者 89名が任官。朝鮮戦争での戦死・行方不明は40名。 第7期後半 1948年11月22日 - 1948年12月21日 軍事経歴者 345名が任官。 第8期 1948年12月7日 - 1949年5月23日 民間から募集 一般学、火器学、戦術学、中隊・大隊戦術 朝鮮戦争勃発時、第一線部隊勤務は小隊長、中隊副官、大隊参謀であり、戦死・行方不明は382名であった。 第8期特別第1班 1948年12月7日 - 1949年1月1日 11名が入校し、7名が大佐、1名が中佐、1名が少佐、2名が大尉に任官した。 第8期特別第2班 1948年12月7日 - 1949年1月14日 145名が任官。諜報隊、特務隊、軍事情報課など情報分野で活躍した人が多い。朝鮮戦争では大隊長級の活躍が大きかったが犠牲者も多く、戦死31名、負傷51名であった。 第8期特別第3班 1948年12月7日 - 1949年3月2日 181名が任官。朝鮮戦争では中隊長、大隊参謀であり、戦死41名、行方不明4名に達した。 第8期特別第4班 第1次任官:1949年2月21日 - 1949年3月29日第2次任官:1949年2月21日 - 1949年4月26日 148名が第1次任官、99名が第2次任官。 第9期 1949年7月12日 - 1950年1月14日 民間から募集(大学卒業者) 一般学、火器学、戦術学、中隊・大隊戦術 674名が任官。朝鮮戦争勃発時は小隊長であり、中隊長を経て一部が大隊長となった時に休戦となった。 第10期 1949年7月15日 - 1950年7月10日 一般学、火器学、戦術学、中隊・大隊戦術
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