作家・評とは? わかりやすく解説

作家評

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 07:30 UTC 版)

ウィリアム・メイクピース・サッカレー」の記事における「作家評」の解説

同時期に並び称されディケンズが、処女作から常に中・下層の庶民、ことに貧民の側に立って市井の人情味にあふれる作品書いたに対して、中の上といった階級出身教育にも恵まれていたサッカレー自ずと自分属す階級人間性、ことにその腐敗俗物根性スノビズム)を痛烈に暴露することに優れていた。 もっとも、腐敗拝金主義成功欲を批判しても、その先あるべき有益な人生価値観提示できたか、という意味では、20世紀モーム同様の批判さらされることもある。なお、ディケンズサッカレー友人同士であったが、サッカレー酷評した批評家ディケンズ支持したことから、サッカレー亡くなる前年まで仲たがいしていた。

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作家評

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 06:25 UTC 版)

高野文子」の記事における「作家評」の解説

高野デビュー当時からセンス良さ画面構成巧みさが注目され漫画評論対象となった初期には、作品整然としたコマ割り大島弓子不安定なコマ割り対置し、高野矢代まさこ岡田史子らに通じる「様式」の作家論じた荒俣宏の評などがある。またアングル自在さ、遠近感効果的な使用トーンワークのうまさといったことから「物事見たまま描け作家」「最も視覚的なマンガ家」とも評されている。『黄色い本』論じた斎藤環は「あるときには下ろされ、あるときには見上げられる」ような、自在に入れ替わる作中視点を「神の視点」ならぬ「視点瞰)」と言い表した2000年に『BSマンガ夜話』で『るきさん』取り上げられた際には、高野各作品に通低する「生と死」へのまなざし論じられた。いしかわじゅん高野作品を「生と死を常に客観的に見て」いるとし、日常描いた近年作品にも「目の前にある日常の話を描いているんだけど(中略)その向こうにやっぱり死がある」と述べている。夏目房之介は「死のほうから生を見ている」と表現しており、これらは高野デビュー前後看護師として働き患者生死日常的に向かい合っていたことの影響があるのではないかとしている。また夏目1985年以降高野作品について「それまでドラマティック画面作り方に『不安』が入ってくる」と作風の変化指摘した竹熊健太郎つげ義春大友克洋とともに高野を「音楽界で言うところの『ミュージュシャンズ・ミュージシャン』にあたるマンガ家」と評し、「高野文子存在なくして後続岡崎京子桜沢エリカ内田春菊一條裕子といった女性作家が、今のような形で存在することもなかっただろう」と述べている。 2003年スタジオジブリ退社したアニメーター安藤雅司高野ファンで、『千と千尋の神隠し』の作画監督務めた際、高野の絵のように少ない線で人間リアルなラインを描く表現作品取り入れ試み行った安藤は、リアルな表現志向し宮崎駿とは方向性対立することもあり、フリー活動することとなった

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作家評

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 23:26 UTC 版)

サマセット・モーム」の記事における「作家評」の解説

モーム作品平明な文体巧妙な筋書き本分としている。モーム面白作品こそが自らの文学であるといい、ゆえに通俗作家評されてきた。モーム小説真髄物語性にあると確信しストーリーテリングの妙をもって面白作品書き続けたが、作品中にはシニカルな人間観がある。 幼少時に母を亡くしており、この母への思慕は相当なもので、『人間の絆』の冒頭部描かれている。またモーム吃音苦しみ、ますます孤独感強めていった。こういった境遇の後に、医学生時代暮らした貧民街に住む人々交わったことは、モーム人間奥底のぞかせた最初に日本紹介し来日したモームとも面談した中野好夫は、その作品について「通俗というラッキョウの皮をむいていくと、最後にはなにもなくなるのではなく人間存在不可解性、矛盾の塊という人間本質問題にぶつかる」と評している。その姿勢は、『人間の絆』において「ペルシャ絨毯哲学」として提出される人生無意味無目的という人生観現れている。人生客観的に描いてきたモームは、『要約すると』では「自分批評家たちから20代では冷酷(brutal)、30代では軽薄(flippant)、40代では冷笑的(cynical)、50代では達者(competent)と言われ、現在60代では浅薄(superficial)と評されている」と書いている。 モーム文体は非常に平明であるが、その文体ヴォルテールスコット学んだのである彼の作品(特に Summing up )は、戦後日本英語教育入試問題テキストとして広く用いられた。

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作家評

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:11 UTC 版)

尾崎紅葉」の記事における「作家評」の解説

紅葉の作品は、その華麗な文章によって世に迎えられ欧化主義批判的な潮流から、井原西鶴思わせる風俗描写巧みさによって評価された。しかし一方では、北村透谷のように、「伽羅枕」に見られる古い女性観批判する批評家もあった。国木田独歩は、その前半期は「洋装せる元禄文学であった述べた山田美妙言文一致体が「です・ます」調であることに対抗して、「である」の文体試みたこともあったが、それは彼の作品の中では主流にはならなかった。ただし、後年傑作多情多恨』では、言文一致体による内面描写成功している。 紅葉英語力優れイギリス百科事典ブリタニカ』を内田魯庵丸善売り出した時に最初に売れた3部のうちの一つ紅葉買ったのだったという(ブリタニカ品切れだったのでセンチュリー大字典にした、とも。死期近かった紅葉にとっては入荷待ち時間惜しかったようで、センチュリー購入紙幣即決しており、内田魯庵はそれを評して自分死期迫っているのを十分知りながら余り豊かでない財嚢から高価な辞典を買ふを少しも惜しまなかった紅葉の最後逸事は、死の瞬間まで知識要求決し忘れなかった紅葉の器の大なる証する事が出来る。(中略著述家として尊い心持最後の息を引取るまでも忘れなかった紅葉の逸事として後世伝うるを値いしておる。」と評している)。その英語力で、英米大衆小説大量に読み、それを翻案し自作骨子として取り入れた作品も多い。晩年の作『金色夜叉』の粉本として、バーサ・クレイの『女より弱きもの』が堀啓子によって指摘された。

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作家評

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 16:55 UTC 版)

高浜虚子」の記事における「作家評」の解説

子規没後五七五調に囚われない新傾向俳句唱えた碧梧桐に対して虚子1913年大正2年)の俳壇復帰理由として、俳句伝統的な五七五調で詠まれるべきであると唱えたまた、季語重んじ平明余韻あるべきだとし、客観写生旨とすることを主張し、「守旧派」として碧梧桐激しく対立した。そしてまた1927年昭和2年)、俳句こそは「花鳥諷詠」「客観写生」の詩であるという理念掲げた。 しかしまた反面碧梧桐亡くなった翌年1937年昭和12年)には、かつての親友であり激論交わしたライバルの死を悼む句「たとふれば独楽のはぢける如くなり」を詠んでいる。 俳壇復帰したのち、虚子つまり『ホトトギス』は大きく勢力伸ばし大正、昭和期(特に戦前)は、俳壇即『ホトトギスであったといえる虚子俳壇君臨する存在であった。 『ホトトギス』からは飯田蛇笏水原秋桜子山口誓子中村草田男川端茅舎松本たかしなどを輩出している。

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作家評

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:14 UTC 版)

仁木悦子」の記事における「作家評」の解説

仁木悦子はもともと児童文学から推理小説書き始めた作家である。そのため作風明るく、しばしば「日本クリスティー」と呼ばれた。 その代表的な作品が、仁木雄太郎悦子兄妹主人公とした作品である。この二人学生で、舞台平凡な日常において発生するため、一般に親しみやすいシリーズ作品となった江戸川乱歩賞受賞作の『猫は知っていた』に初登場同作ベストセラーとなり、推理小説ブーム一翼担った作者と同じ名前の仁木悦子は、のちの作品結婚し浅田悦子と姓が変わっている後期短編では悦子主婦探偵として活躍し雄太郎はほとんど登場しない一方で仁木悦子は、クリスティーよりもハードボイルド好んでおり、私立探偵・三影潤というキャラクター生み出している。『冷えきった街』はその三影が登場する唯一の長編である。

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