城塞とは? わかりやすく解説

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じょう‐さい〔ジヤウ‐〕【城塞/城×砦】

読み方:じょうさい

城ととりで。また、城やとりで。「—を築く」


城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 23:18 UTC 版)

城塞(じょうさい、英語: citadel[1])とは、都市の一角に建てられた要塞を指す。城堡とも呼ぶ。都市の支配者・武力集団を堅固に防護する目的で建てられる。支配者が居住する城館を兼ねることも多い。日本で言うところの「」に当たる。


  1. ^ citadelシタデル)の語は、シティ(city)と同じラテン語の語源(civis、「市民」)を持ち、都市の中核部の意味が起源である。


「城塞」の続きの解説一覧

城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 23:39 UTC 版)

テヘラン州」の記事における「城塞」の解説

アルズハング要塞(ターレガーン、1149年創建イーラジュ城塞(ヴァラーミーン) ゴレ・ハーンダーン城塞(ルーデヘン、サーサーン朝) ラシュカーン城塞(レイアルサケス朝) タッバロク城塞(アッバース朝) ソルヘ・ヘサール城塞(セルジューク朝) ケイゴバード城塞(ターレガーン、イスマーイール派) ギャブリ城塞(レイアルサケス朝代) ガルエ・ドフタル・タング・ゴセエル(キャラジュ近郊セルジューク朝のような城塞跡があるが、多く地震破壊された。 ハールーン獄舎テヘラン南郊サーサーン朝) メッリー公園外務省建築複合体

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城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:05 UTC 版)

ガバナーズ島」の記事における「城塞」の解説

詳細は「ジェイ砦 (Fort Jay) 」および「ウィリアムズ城 (Castle Williams) 」を参照 ニューヨーク港保護するためにガバナーズ島幾つかの城塞が建造された。これらは、マンハッタン南端にあるクリントン城リバティ島ウッド砦、エリス島ギブソン砦と連携して機能した現存する城塞には1812年米英戦争時都市保護する目的があった。 本来のガバナーズ島北側部分中心にあるジェイ砦は、最古1794年建造である。それは島の最高地点建てられ斜堤全方位傾斜していた。最初の城塞は劣化して1806年取り替えられた。ジェイ砦は本来ニューヨーク総督ジョン・ジェイにちなん命名されたが、再建後1904年頃までコロンバス砦として知られていた。オリジナル斜堤と壁の多く再利用して再建された砦は「銃100挺に適合するよう、石積み稜堡4つ備えた五角形囲まれ仕掛け」で構成され当初230収容レンガ造り兵舎もあった。ジェイ砦はその歴史の中で幾度も改修されており、現在の外観は主に1830年代改修に基づくものであるジェイ砦の壁は砂岩花崗岩でできており、北の壁には矢印形の三角堡がある。この城塞は現在干上がった堀に囲まれている。 ウィリアムズ城は1807年から1811年にかけて、当時暗礁だった島の北西隅に建設された。米陸軍工兵隊技師ジョナサン・ウィリアムズにちなん名付けられた、高さ12m、直径64mの円筒形建造物である。壁は下から上に2.1-2.4mのテーパーとなっている。この建造物4層構造で、各層それぞれ2基の大砲収容可能な13砲郭があり、合計大砲104基を収容可能である。砦の南側にあった2つ内部構造物は1900年移設された。 南側砲台(サウス・バッテリー)または半月砲台呼ばれる3番目の建造物は、バターミルク水路に近い当初の島の南東隅にあり、米英戦争以前建てられたものである。矢型をした南側砲台には欄干バーベット13門が装着されバターミルクチャンネル水路対面しており、内部には兵舎もあった。その後1878年までは将校会食カトリック礼拝堂として、1880年代までは軍法会議室として、1904年改修後娯楽施設として活用された。1930年代以降、サウス・バッテリーは将校クラブとしても活用された。

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城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 09:18 UTC 版)

ザウアーラント」の記事における「城塞」の解説

数多くの城塞、城館領主館が、過去貴族権勢威厳物語っている。10世紀前半建設されヴェルルの伯の城塞があった場所は、完全には判明していない。おそらく現在の教会広場近くであった推定されている。ヴェルル伯がその拠点アルンスベルクに移すと、まず1060年頃に、後に貴族のリューデンベルク家の所有となったリューデンブルク城が建設された。アルンスベルクヴェルル伯は、谷の別の側にあるアルンスベルク城に1144年から住んだ。後にケルン大司教選帝侯がこれを城館発展させた。最後工事はヨハン・コンラート・シュラウン(ドイツ語版英語版)がクレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンのために行ったが、七年戦争破壊された。アルンスベルク2つの城は、現在廃墟となっている。 他の貴族家も自らの所領防衛するために城塞を建設した。たとえば、元々エッツォ家建設したハッヒェン城がその一例である。アッテンドルンヴァルデンブルク城の起源エッツォ家由来する。これらの城はその後様々な領主所有となったフェルデビルシュタイン家は、最初に、現在はほとんど遺されていないペーパーブルク城を建設したが、後にビルシュタイン城に移った。パドベルクの城塞も古い城である。グラーフシャフト修道院ドイツ語版英語版)の代官12世紀にノルデナウ城を築いた12世紀戦略上最も重要だった城塞の1つブリーロン近郊のアルテンフィルス城である。この城は早くも中世放棄された。 ケルン大司教様々な城塞を獲得し領有する都市保護するために軍事機能与えた。ネーハイムに存在する城吏の館であるグランザウ館、ドロステンホーフ館、フレーゼケンホーフ館が、この街がかつて城塞であったことを示している。アルンスベルクについても同様で、ここでは都市とエーファースベルク城が建設された。これらはアルンスベルク伯の所領ケルン選帝侯から護るためのものであった。古い城塞の取得都市の創設の他にケルン大司教12世紀から新しい城塞を建設した1222年最初の記録遺るシュネレンベルク城や、フュルステンベルク城、シャルフェンベルク城などがその例である。 マルク伯やその前身も、アルンスベルク伯やケルン大司教から所領護るために城塞を建設したマルク伯の主城の役割果たしていたのがアルテナ城で、その近隣の都市はこの城にちなん名付けられた。領邦境界線面したヘネタールの岩山の上にクルーゼンシュタイン城が設けられた。 こうした城塞のうち、保存されているのはわずかである。復元されアルテナ城には、1912年世界初ユースホステル開設された。800年上前ビルシュタイン城も1927年からユースホステルとして利用されている。シュネレンベルク城は後にフュルステンベルク男爵によって増築され見学することができる。 リューデンブルク城跡 ヴァルデンブルク城跡 ペーパーブルク城跡 ビルシュタイン城 ノルデナウ城跡 アルテンフィルス城跡 ドロステンホーフ館 フレーゼケンホーフ館 エーファースベルク城跡 シャルフェンベルク城 クルーゼンシュタイン城

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城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/15 17:57 UTC 版)

ガズヴィーン州」の記事における「城塞」の解説

今に残る城塞のほとんどが中世イスマーイール派ニザール派のものであるアラムート城砦(英語版) ラムベサール城塞 シールクーフ砦 ゲズ・ガレ砦 シャミラーン城 メイムーン・ガルエ バラージーン・ガルエ

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城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 05:18 UTC 版)

ルーヴル宮殿」の記事における「城塞」の解説

1190年に、第3回十字軍主導したことでも知られるフランス王フィリップ2世が、パリ全域を囲む城壁 (en:Wall of Philip II Augustus) の建設命じた。「フィリップ・オーギュストの防壁」とも呼ばれるこの城壁は、北西からの敵侵攻備えたもので、城壁外部には数棟の堅固な城塞が建設された。これらの城塞のうちセーヌ川建設されたのが、現在のルーヴル宮殿前身にあたる城塞としてのルーヴルである。ルーヴル建設されたのは、現在のクール・カレ南西部分のおよそ四分の一相当する場所で、1202年完成した。現在でもルーヴルシュリー翼で、建設当時ルーヴル遺物一般公開されている。 完成当初ルーヴル78メートル × 72メートルのほぼ正方形建造物で、高さ2.6メートル胸壁張出狭間備えた城壁囲まれていた。さらにその外側たたえた堀がめぐらされていた。城壁外部には10棟の防御尖塔があり、城壁の各角および北側西側城壁中央に1棟ずつと、南側東側設けられた狭い門の両脇それぞれ2棟ずつ建てられていた。中庭のやや北東寄りには、石造り急傾斜付けた深い乾濠囲まれた、高さ13メートル直径4メートル円筒状の主塔ドンジョン)が設置されていた。ルーヴル派遣され兵士たち寝泊まりには、主塔円天井を持つ大部屋と、城壁内部西側南側建てられた翼棟が使用されていた。この時代ルーヴルは城塞であり、当時フランス王たちがパリ住居としていたのはコンシェルジュリー宮殿だった。 円筒形建物方形建物比べて死角少なく侵攻してくる敵を遠距離から視認できるという特長を持つ。このため当時フランスでは円筒形主塔を持つ城塞が多かったが、ルーヴルほど大規模な城塞は稀だった。ルーヴルフランス王が持つ権力象徴となり、国王対す忠誠誓言として採用されるほどだった。ルーヴル1528年解体されているが、この慣習時代はるかに下るアンシャン・レジーム期の終わりまで続いている。ルーヴル中世時代通じて何度も増改築された。13世紀半ばフランス王ルイ9世のころには、ルーヴル王室財産保管地にもなっている。また、ヴァロワ王朝期には、監獄法廷収容されたこともあった。

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城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 23:53 UTC 版)

ツェーシス」の記事における「城塞」の解説

ツェーシス起源はリエッツ丘上の砦で、木製要塞ヴェンド人として知られるスラブ系部族によって建てられた。東西をゆく交易路沿って定住地設けて地域中心としたのが始まりで、高さ18mの山の上立ったこの要塞構は現在でも一部残っており、公園として公開されている。 1209年、この砦のそばに、リヴォニア帯剣騎士団(のちにドイツ十字軍チュートン騎士団)に吸収される)がヴェンデンの城を建設した。城は次第拡大強化され1237年から1561年までの間には一時的な例外除いて騎士団長居城となっている。 1577年、城がロシアイワン雷帝の手落ちるのを防ぐため、駐屯部隊が自ら城を破壊した1598年にはポーランド・リトアニア共和国一部となり、ヴェンデン公国作られた。1620年ヴェンデンスウェーデンの手に陥ち、一度再建されるも、大北方戦争中の1703年ロシア軍によって再び破壊され廃城となった16世紀の末には既に騎士団居館だった建物は、ツェーシス城塞の一部として改修されていた。1777年にジーファース伯がツェーシス城を手にしたとき、城の東の区画新し居館を建て、その端の壁と要塞一部である塔を一体化させた。 この新し城館は、1949年からはツェーシス歴史博物館になっている。城塞の正面の庭は穀倉厩舎囲まれており、これらは展示場博物館になっている穀倉の横にはラトビア最古醸造所su alus darītavaがあり、1878年のジーファース伯領時代後期建物であるが、起源騎士団時代さかのぼる。1812年ツェーシス城公園設立された。当時偲ばれるよう、遊歩道異国植物城跡映し出す池などが設置されている。

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