城の役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/04 16:23 UTC 版)
桧原城のある桧原地域は1585年(天正13年)以降は伊達氏領の蘆名氏領に対する最前線地域になった。桧原城から約5キロ南には蘆名氏の柏木城があり、まさに伊達氏領と蘆名氏領の境界を監視するための城である。このような城を「境目の城」ともいう。後藤信康は約4年桧原城の城番の任務を担い、政宗は労をねぎらいながらも指示を与える書状を信康へたびたび送っている。桧原地域は現在でも約2mの積雪があり、しかも最前線であることから蘆名勢の襲来もあり、境界監視はかなり厳しい任務であったと思われる。しかし、信康は桧原城を守りきり、1589年(天正17年)の蘆名氏攻めの際は原田宗時が桧原城より出撃し、蘆名氏の後方攪乱を行っている。なお、城は蘆名氏滅亡によってその役割を終え、廃城になったと思われる。
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