城の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:02 UTC 版)
地元では古くから香嵐渓の象徴とも言える飯盛山に城を築きたいとの考えがあり絵図面が引かれたこともあったという。 1989年(平成元年)に愛知県が開始した「愛知のふるさとづくり事業」と国のふるさと創生基金を合わせて城の復元を行なうことが計画されたが、飯盛山は県の史跡指定がなされていることや、時代が古いために櫓など小規模な復元にとどまることなどから、戦国時代の城である真弓山城を復元することが決定され、1990年(平成2年)から1992年(平成4年)にかけて発掘調査と復元が行なわれた。 事業にあたっては幾つかのコンセプトが定められた。 戦国時代の鈴木氏の城を復元する。 事前に発掘調査を行い、建物跡を検出できた場合は、それに基づいて復元をする。そして、遺跡保存の観点から、盛り土等で遺構面の保護をする。 建物跡を検出できない場合は、絵図等が残されていないので、想定で復元する。ただし、石積みの白亜の天守閣はつくらない。 城館の復元だけでなく、戦国時代の生活を浮かび上がらせる工夫を行なう。 発掘調査ののち、本丸には高櫓と長屋、西の丸に物見矢倉、南の丸にも物見台や厨、また各所に板塀などが復元され、1993年(平成5年)5月に「城跡公園足助城」として開城した。
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