戦国時代の城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:14 UTC 版)
戦国時代初期まで「城」と呼ばれるものは圧倒的に後者の山城が多かった。領主の居城では、外敵に攻められた際、領主は要害堅固な山城へ籠り(籠城)、防御拠点とした。こうした山城は、麓にある根小屋に対して「詰めの城」と呼ばれた。例としては、武田氏#甲斐武田氏の躑躅ヶ崎館と要害山城などがある。 前者の領主が平時に起居する館は、麓に建てられた。地域によって「根小屋」「館(やかた/たち/たて)」「屋形(やかた)」などと呼ばれ、周囲に堀を巡らし、門に櫓を配置するなど、実質的に城としての機能を備えていた。周囲には、家来の屋敷や農町民の町並み(原始的な城下町)ができた。 戦国時代中期から城の数は飛躍的に増大し、平地に臨む丘陵に築いた平山城(ひらやまじろ)や平地そのものに築いた平城(ひらじろ)が主流となる。防御には優れるが政治的支配の拠点としては不向きであった山城は数が減っていく。 また、この時期の特徴としては「村の城」とも呼ばれる施設が全国的に造られたことも挙げることができる。これは戦乱が日常化したため、地域の住民が戦乱発生時の避難施設として設けたもので、時には領主への抵抗運動や近隣集落との抗争時に立て籠もる軍事施設としても機能した。これらの施設は山頂に平場を作事するなど純粋な軍事施設の「城」に比べると簡素な造りで、狭小であることが多い。
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