戦国時代の多賀郷とは? わかりやすく解説

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戦国時代の多賀郷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/12 18:04 UTC 版)

多賀郷」の記事における「戦国時代の多賀郷」の解説

文明3年1471年)が、室町戦国時代多賀郷という呼び名現われはじまりである。そこでは現在の多賀城市内の八幡地区について、宮城郡多賀郷59郷のうち八幡郷と表現されていた。この後戦国時代通じて多賀郷という呼び方用いられた。正確な範囲不明だが、鎌倉時代多賀国府域とは異な地方単位をなしていた八幡荘中心部まで含んでいる。八幡荘支配した八幡氏と多賀国府周辺支配した留守氏南北朝時代にしばしば対立しており、その後八幡氏が服属したという経緯があった。そのため多賀郷という地域名は、戦国時代留守氏領地勢力圏を指すものとして生まれた可能性指摘されている。 これと別に江戸時代前期仙台藩による調査対し付近住民はみなかつての多賀郷は洞ノ口にあった答えた。洞ノ口は多賀国府域の中にあって中世大きな町があり、国府位置していたとも考えられる場所である。広い多賀郷と、その中心的な町である多賀郷町と、広狭二種の多賀郷があったことになろう。

※この「戦国時代の多賀郷」の解説は、「多賀郷」の解説の一部です。
「戦国時代の多賀郷」を含む「多賀郷」の記事については、「多賀郷」の概要を参照ください。

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