戦国時代の天道思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 03:00 UTC 版)
戦国時代の日本では、儒教・仏教に神道が結合して「天道思想」となり、戦国武将に広がり、「天運」「天命」を司るものと認識された。歴史家神田千里はそれを進め、戦国時代後半に、天道思想を共通の枠組みとした「諸宗はひとつ」という日本をまとめる「一つの体系ある宗教」を構成して、大名も含めた武士層と広範な庶民の考えになり、日本人に深く浸透したとする。個人の内面と行動が超自然的な天道に観られ運命が左右され、その行いがひどければ滅びるという、一神教的な発想があり、日本人に一般的に広がっていた。キリスト教の宣教師からも、キリスト教に似たものだと受け止められ、布教のため神を「天道」と意訳同一化して仏教僧や武士、庶民と論議することで宣教しようとした。キリシタン大名もキリスト教の神を天道と表現した。太田牛一は、『信長公記』で、人の行為、戦争や生死は、「天道」がすべて定めている、幸運な時は「天道照覧」、主君などを反逆などで殺すと因果は巡り復讐され悪逆後の死は「天道恐ろしき事」と、各所にあり、運命論者として天道思想が基底にあり、延暦寺のような仏教大寺院でも「天道」は至高の存在で、その恐れを知らず背けば、織田信長の比叡山焼き討ちのように滅亡するとされている。『大かうさまくんきのうち』では非業の死を遂げた武将たちの最後を語り、その悲惨な死を天命として必ず「天道おそろしき事」と締めくくっている。
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