大平城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 08:02 UTC 版)
串原遠山城とも称する。柿畑城よりも新しい戦国時代の城であり、標高520mの山上にある。山頂に櫓址があり「妙法三保大和守重昌霊」という大きな石碑と、その傍らに月待供養塔がある。空堀は3ケ所あり、東側の堀跡は現在山道として利用されている。東南登り口の農家に「殿井戸」という古井戸が残っている。なお、東北麓には「人切場」というところがある。遠山雅楽守が築城し、その子孫遠山経景が継いでいたが天正2年(1574年)2月に、武田方の攻撃により落城した。
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